呪わしきハムレット7





翌日───

「ハムレット様。最近、お体の具合は?」
 小鳥のように震えた声で問いかける、オフィーリア演じる工藤さんは、どこから見ても可憐な少女
だ。
 今はTシャツ、ジャージの姿だけど、これで女性の格好をしたら完全な女にしか見えない。
 確かに木村さんが気後れするのも分かるな。
 一方、晴沢演じるハムレット。
 厭世的な眼差しをそのままに、それでも恋人の前では笑顔を浮かべる。
「いやご親切なおたずね。おかげで元気なものだ」
 オフィーリアは手に持っている宝石をおずおずと差し出す。
「いただいたもの、ずっとお返ししようと。お受け取りください」
 ハムレットはおかしな冗談でも聞いたかのように、一瞬彼女をせせら笑いそして言った。
「何もやった覚えはないぞ」
「そんな!優しいお言葉をそえてくださったからこそ大切にしてまいりましたのに。その香りが消えた
今は欲しくはありません。どうぞお受け取りを」
 ハムレットはオフィーリアを壁際に追い詰め、そして彼女の肩を掴みその顔をのぞき込む。微妙に高
崎と違う、晴沢自身のアドリブだ。
「くくく……おまえは貞淑か?」
「……え?」
「美しいか?」
「なぜそんなことを?」
 オフィーリアは訝しげに問い返す。
「お前が貞淑で美しいのであれば、その二つは互いに付き合いさせぬがいいと思ってな」
「美しさと貞淑は、よい取り合わせではありませんか? 」
「いや、美しさが貞淑な女を不義という奈落に陥れる。昨今、時勢がれっきとした証を見せてくれた。
そう……かつては、お前を愛していた」
 ハムレットはオフィーリアを抱き寄せる。
 身をゆだねようとする彼女だが、彼はその身体を乱暴に突き放す。
 そして深く項垂れ、力なく彼は首を振りながら、恋人だった女性に残酷な言葉を告げる。
「残念ながら、愛してはいなかった」
「ハムレット様、その頃は本当に……」
 オフィーリアが愕然と目を瞠る。
「そう信じ込んでいたのなら、とんだ間違いだ。ヤクザな古木に美徳を接ぎ木しても始まらぬのだ。結
局親木と同じ下品な花しか咲かぬ!」
「そ……そのようなこと……」 
「尼寺へ行けっ!なぜ罪深い人間を生みたがる?このハムレット、これでも誠実な人間のつもりだ
が、それでも母が産んでくれなければよかったと思うほど欠点だらけだ。傲慢で、執念深く、野心
満々、想像だけでまだ実行できない罪を抱えている。そんな男が天地を這いずり回って、いったい何
ができる?おれたちはみんな悪党だ。だれも信じてはならぬ!いいから尼寺へ行ってしまえ!!親
父はどこにいる?」
───家に」
 
 ハムレット演じる晴沢と、オフィーリアを演じる工藤さん。
 晴沢の奴、もの凄く鬼気迫る演技をする。
 ちょっと台詞あわせをしただけでも上手いとは思ったけど、今はその上に気迫を感じる。
 しかも、高崎と違って長台詞もNG一つ無く、凄く安定感があった。
「驚いたな。晴沢、一日で演技が格段とあがってるぞ」
 湊が素直に褒めた。
───ええ、お陰様で」
 やや引きつった笑みの晴沢。
 そこに工藤さんがイキナリ後ろから彼に抱きついて言った。
「だってさ、この子失恋して泣いてたから、やけ酒に付き合った上に、舞台稽古にも一晩中付き合っ
てあげたんだよー。僕の特訓のた・ま・も・の」
 無邪気に抱きついているけど、抱きつかれた晴沢の顔は何だか赤い。
 そりゃ、その気がなかったとしても工藤さんみたいな綺麗な人に抱きつかれたら、そういう顔になる
わな。
 ───俺の背後で、腕を鳴らしている倬弥の視線が怖いけど。
「失恋って、へぇ、お前でも失恋することあんだ?」
 無神経なことを言う上に何故か嬉しそうな顔をする木村さん。
 その横で猿顔の久野さんは、俺の方を見て。
「ふーん、浅羽君完全に振ったんだ?」
「……え、久野さん知ってたんですか?」
「みんな知ってるよ。あんなアプローチしてる姿見せられたらさ」
「……」
 そ、そりゃそうか。
 あいつ所構わず俺に抱きついていたもんな。
「それに木村君や二名瀬に、KON内で付き合っている人とかいないか?ってリサーチしてたしね」
 リサーチすんな、晴沢。
 なんか、こっちが恥ずかしくなるじゃないか。
「言っておくけどな、俺はまだ諦めたわけじゃないからな!」
 俺の方を指さして、声高に言う晴沢。
 皆の前で堂々と。
 ある意味、尊敬に値するけど。
───工藤さんに抱きつかれたまま言われてもな」
俺はしれっと受け流す。
 工藤さんはまだ晴沢に抱きついて、よしよしとその頭を撫でていた。
「ンなこと言って、工藤さん狙ってんじゃねぇだろうな」
 完全けんか腰の倬弥に、久野さん、どうどうと諫める。
 その時だった。
 晴沢の頬に当たるか当たらないかギリギリのあたりで、木刀が豪速で飛んで来て、稽古場の壁に
ぶち当たった。
 木刀がからんと床に落ちた時。
 全員水を打ったかのように静まりかえる。
 振り返ると……うわ、今さんが来てる!?
「時間が空いたから様子見に来てみりゃ、何チャラチャラしてやがる!?」
 怒鳴る今さんに、晴沢顔面蒼白にして。
「い、いえ。自分は全然チャラついたつもりは。ただ真剣に告白はしましたが」
「アホか!!稽古場で、稽古以外のことすんじゃねぇ!!」
 ご尤もな意見。
 今さんは晴沢に歩み寄り、ぐっと胸倉を掴んで一言。
「お前、浅羽との共演ナシな」
「え!?」
「当たり前だろ!!どこの世界にレアティーズに懸想するハムレットがいるんだ!?」
「そ、そこは演技力で」
「お前如きの演技力で、んなもんカバーできるか!!どアホがっ!!」
 ばこっと頭を叩かれる音がこっちにまで聞こえてきた。
 頭蓋骨に響いたな、ありゃ。
 さらに、鋭い眼光を間近に突き付けられて、そして怒鳴り散らされるものだから、晴沢は反論のはの
字すら出せず、涙目で首を縦に振ることしかできなかった。


 そして後日───
 結局、組み合わせとしては、ハムレット高崎、オフィーリア木村さん。そしてレアティーズが俺。
 対するはハムレット晴沢、オフィーリア工藤さん、そしてレアティーズが倬弥という形に決定した。


「ああ、この何倍もの災いが、あいつの頭上に降りかかるがいい!呪っても呪いきれぬ!!あいつの
お陰でお前は狂ってしまった!待て、もう一度この手で抱きしめたい」
 妹の頬に両手を挟み、その額に口づけをするのは、もちろんハムレット演じる倬弥のアドリブだ。
 そしてその身体をきつく抱きしめ、天に向かって絶叫する。
 「さぁ、俺もろとも埋めてくれ!!どんどん土を投げ込んで、あのピーリオンの峰にも、雲の上にそび
え立つオリンパスの山頂にも劣らぬ程高く積み上げるがいい!」
 そこにこちらに歩み寄る足音がする。
 その場にいる一同、はっと凍り付く。
「何だ、その仰々しい嘆き様は?その泣き言は、空を巡る星も呆れて立ち止まるぞ」
 まるで茶番を見ているかのようにせせら笑うハムレット演じる晴沢に対し、倬弥はその眼差しに憎
悪をたぎらせ、彼に掴みかかった。
「畜生、悪魔に食われてしまえ!!」


「泉沢は、良い演技してますね」
 感心するように呟く湊に、今さんも満足そうに頷く。
「だろ?しかもハムレットの晴沢に相当威嚇してっから、普段以上に憎しみが身体から滲みでてるだ
ろ?」
 そういう計算もしてのキャスティングだったとは。
 ……なんかたまたま感がしないでもないけど。
 だけど───
 俺は、今にもハムレットを絞め殺しそうなレアティーズを演じている倬弥の横顔を見て、
少し悔しいような、羨ましいような気持ちになる。
 あいつの色気がある演技は、とてもじゃないけど俺は真似が出来ない。
 しかも私情を織り交ぜている所為か、自然と情感あふれる演技をしている。
 そんな風に演じられる倬弥が、少し羨ましくもある。
 俺の場合、木村さんに対しても、倬弥に対しても特別な思いがあるわけじゃない。
 舞台の上のみ、木村さんに対しては兄として愛しく、そしてハムレットにたいしてはこの上ない憎し
みを抱かなければならない。
 その時、誰かが俺の肩に手を置いた。
 振り返ると、木村さんが舞台の方を睨みながらも俺に言ってきた。
「あいつらには負けてられねぇ。浅羽、今日時間があるか?」
「あります」
 迷いもなく頷いていた。
 今日の稽古時間だけじゃ演じ足りない。
 それに、原因は俺にあったにしろ晴沢だって、一晩中工藤さんと稽古しているんだ。
 そこに高崎も俺の所に歩み寄り。
「浅羽、今日時間ある?」
 真剣な面持ちで尋ねてきた。
「お前も稽古に混ざるか?」
 木村さんがにっと笑って、高崎の肩を叩いてきた。
「そ、それを言おうと思っていたんです!!」
 願ってもない木村さんからの申し出に、高崎は嬉しそうに何度も頷いた。
 そうだ。
 俺たちは俺たちのハムレットを作り上げなければならない。
 彼らには負けない、そして彼らとは違うハムレットを。



 稽古終了後───

 礼子さんに頼んで第二稽古場のスタジオの鍵を借り、そこで練習することになった。
「あんまり根を詰めるなよ」
 一緒に残ってくれている湊が、台本とにらめっこしている高崎に声をかける。
「大丈夫です!今なら、なんかなめらかに台詞が言えるような気がする!」
「……ならいいけど」
 根拠のない自信に満ちた高崎の台詞に、湊は苦笑する。
 俺は俺で、深呼吸をしてから少しの間目を閉じる。
 最初は俺と木村さんのシーンからだ。
 可愛い妹との名残を惜しむ───あの時は、妹の笑顔を見るのがこれが最後だとは一片たりとも
疑わない。
 俺の眼差しは未来の希望に満ちあふれているんだ。
「…………じゃ、はじめるわよ」
 わよ?
 一瞬、誰の声かと思った。
 そして、第二稽古場に入ってきたその少女が誰かも、一瞬分からなかった。
 近くに来たら、それが木村さんだと判明した。
 高崎が息を飲んだ。
 湊も目を瞠る。
 俺は俺で思わず口をあけたまま、閉じることができなかった。
 水色のワンピースがひらりと揺れたのを見た。
 そしてくるくるのセミロング茶髪。
 唇はつやつやのリップが塗ってあって、そばかすがキュートな可愛らしい女の子が立っているかと
思った。
「き、木村さん。その格好は」
 目をまん丸にして尋ねる俺に、木村さんはその時初めて男子らしく後ろ頭を掻いてから、恥ずかしそ
うに言った。
「いや、二名瀬が、女性を演じられる秘術を教えてあげるっていうから、言われるままにメイク室に行
ったら、KONの女軍団に取り押さえれて───
「…………それ以上は話さなくても分かります」
 軽いデジャブ。
 俺も以前、二名瀬さんと……それから永原さんの奧さんに取り押さえられて、無理矢理女装させら
れた記憶があるので、木村さんに何が起きたかは容易に想像がつく。
「あの永原さんもやった秘術だっつうから、信用して来たのに」
 膝を着いて脱力する木村さん。
 でも、二名瀬さんが言っているのは、実は本当のことなのだが。
「で、でもマジ可愛いっすよ!木村さん」
 本当にそう思っているようで、顔を紅潮しやや興奮気味に力説する高崎。
「そ、そうか?」
「お付き合いしたいぐらいです!」
「い、いや、それはちょっと。でも、そうだな。あいつらには負けてられないから、俺、いい女になる!」
 力一杯拳を握って宣言する姿は男そのものなのだが、けれども女装した木村さんは確かに可愛
い。俺もすんなり兄役として入っていけそうだ。
 俺は木村さんの両肩に手を置いて、ふわりと笑いかけた。
「もう必要な荷物は積み込んだ。では行くよ、オフィーリア。順風で船の都合さえ良ければ。怠けては
いけないよ?」
「怠けるとお思いになって?」
 今までにない、可愛らしい声が木村さんの口から漏れた。
 思わず俺はどきっとする。
 決して女の子の声ではないのに、なんか可愛いのだ。
 それでいてはにかんだ笑顔。工藤さんにはない愛嬌がある。
「ハムレット様のことだが、その気持ちは一時の浮気、若さ故の気まぐれと思っておけば間違いない。
早咲きのスミレのようなもの……」
 兄、レアティーズの言葉に、オフィーリアは肩を震わせる。
 そして不安に顔を曇らせながらも、何とか笑って見せて。
「それだけかしら?」
「……もう考えない方がいい。なるほど、ハムレット様はお前を愛しておられるかもしれぬ。その心は
純粋そのもの、お心の内は一点の偽りもないだろう。だが、あの方がデンマーク国民の同意を得なけ
れば何も出来ぬ特別な地位であることを忘れてはならないよ。おお妃選びとてそう。だからお前も分
をわきまえて───
「分かりましたわ、お兄様。けれども、そう仰るご自分こそいい気なもの。手に負えぬ道楽者同然、戯
れ心にあちこち花咲く小道で現をぬかしておいでになって」
「余計な心配だよ」
 俺は苦笑した。この先は、ボローニアスの台詞が入ってくるので、端折るとして───
「では行ってくるよ、オフィーリア。いいか、さっき言ったこと忘れるんじゃないよ」
「はい、この胸の内、しっかり錠を掛けて鍵はそちらに預けておきます」
 俺と木村さんはそこで抱き合った。
 その時、俺は何となく妹がいるのっていいなって気分になった。
 こんなに可愛い妹がいたら、他の女なんか目に入らないかも。
 それくらいに今の木村さんは可愛いし、俺も愛しい気持ちを抱いて演じることができた。
 工藤さんと演じた時は、妹のような、それでいて恋人のような名残惜しさがあったのだけど、この人
の場合本当に兄になったような感覚を味わえる。
 演じた後、なんか凄く嬉しい気持ちになった。
「女装秘術……馬鹿には出来ないな」
 湊が思わず唸る。
「今までより格段と良くなっているぞ、木村。それに浅羽も役にハマりだしてきたな」
「……」
 ほ、褒められた。
 これは素直に嬉しい、と思ってしまう。
 いつも一緒にいるし、顔も合わせている恋人だけど、その人があくまで演技指導者として褒めてくれ
るというのは、もの凄く久々で俺は内心どきどきした。
「あ、ありがとうございます」
 木村さんもまさか褒められるとは思ってなかったみたいで、目を瞠ってから頬を上気させた。
「次!、俺の番」
 直ぐさま手を上げたのは高崎だ。
 何だかいても立ってもいられない様子だ。
 ああ、なんかこいつも早く演じたくてうずうずしているんだな。
 演じる楽しさを見出してきているのかも知れない。

「ハムレット様。最近、お体の具合は?」
 どこか不安そうな眼差しで高崎を見つめる木村さんの眼差しは、清純な乙女そのもの。
 一方ハムレットはどこか皮肉な笑みを浮かべ。
「いやご親切なおたずね。おかげで元気なものだ」
 オフィーリアは手に持っている宝石をそっとと差し出す。
「いただいたもの、ずっとお返ししようと。お受け取りください」
 ハムレットは肩をすくめ、おかしな冗談を聞いたかのような仕草をする。あ、木村さんに合わせて前
よりも愛嬌を取り入れている。こいつは嗅覚に従って、相手によっても演じ分けているんだ。
「何もやった覚えはないぞ」
「そんな!優しいお言葉をそえてくださったからこそ大切にしてまいりましたのに。その香りが消えた
今は欲しくはありません。どうぞお受け取りを」
 するとハムレットは、オフィーリアの頬を両手で挟み、その顔をのぞき込む。
「くくく……おまえは貞淑か?」
 目を見開いて問いかける。
 どこか狂気じみた表情を垣間見ることができる。
「……え?」
「美しいか?」
「なぜそんなことを?」
 オフィーリアは訝しげに問い返す。
「お前が貞淑で美しいのであれば、その二つは互いに付き合いさせぬがいいと思ってな」
「美しさと貞淑は、よい取り合わせではありませんか? 」
「いや、美しさが貞淑な女を不義という奈落に陥れる。昨今、時勢がれっきとした証を見せてくれた。
そう……かつては、お前を愛していた」
 高崎が木村さんの頬を両手に挟み、優しく囁くように言う。
 オフィーリア演じる木村さんはそっと目を閉じるが───
 ハムレットはおかしそうに笑いをこぼしながら、
その耳に残酷な言葉を囁く。
「残念ながら、愛してはいなかった」
 オフィーリアは目に涙を浮かべ、首を横に振る
「ヤクザな古木に美徳を接ぎ木しても始まらぬのだ。結局親木と同じ下品な花しか咲かぬ!」
「そ……そのようなこと……」 
「尼寺へ行けっ!なぜ罪深い人間を生みたがる?このハムレット、これでも誠実な人間のつもりだ
が、それでも母が産んでくれなければよかったと思うほど欠点だらけだ。傲慢で、執念深く、野心
満々、想像だけでまだ実行できない罪を抱えている。そんな男が天地を這いずり回って、いったい何
ができる?おれたちはみんな悪党だ。だれも信じてはならぬ!いいから尼寺へ行ってしまえ!!親
父はどこにいる?」
───家に」
「では戸はぴったり締めておけ。余所で愚かなことをせぬようにな」
 ハムレットは半笑いに、そして上目遣いでオフィーリアを指さす。
 今までになく、ハムレット演じる高崎の口調がアップテンポだ。
 乗った演技をしている証拠だ。
「もし結婚するなら、持参金代わりにこの呪いの言葉をくれてやろう。おまえが氷のように貞淑で、雪
のように清純でも、人の口に戸は立てられぬ。尼寺へ行け!尼寺へ。どうしても結婚したいなら、阿
呆とするがよい。利口なやつは結婚なんかしないからな。おまえたち女は、顔を塗りたくり、神からさ
ずかった顔を作り変える。尻を振り、甘ったれて、「いけなかったの?」などとぬかす。あああっ!もう
がまんできん!おかげで気が狂った!ええい、結婚など、この世から消えてなくなれ!すでに結婚し
てる者は仕方がない!生かしておいてやる。一組のぞいてはな。さぁっ、行ってしまえ尼寺へ!!」
 ハムレットはそう吐き捨て、笑いながら舞台を去る。
 オフィーリアは一人。
 すっかり人が変わってしまったハムレットに対し、オフィーリアは膝を着き、胸の前で手を組む。
「ああ、あれ程気高いご気象だったのにこうもたわいもなく!王子にふさわしい秀でた眉に学者も及
ばぬ深いご教養、武人も恐れをなす鮮やかな剣さばき。この国の運命を担い、そして一国の華と崇め
られ、流行の鏡、礼儀の手本、あらゆる人々の賛辞の的だったハムレット様が、あんなにも惨めな姿
に。私は辛い……なまじあの快い甘い香に酔うていただけに。気高く澄んだ理性の働きは耳をくすぐ
る鐘の音、それも狂うて今この耳にひび割れた音を聞かなくてはいけない。水際だった花のお姿が
狂気の毒気に触れ、みるみるしおれて行くのをただじっと眺めているだけ。ああ、なんと悲しいこと。
昔のハムレット様を見たこの目で今のハムレット様を見なければならないなんて」
 
 木村さん演じるオフィーリアは号泣してその場に崩れた。

 迫真のある演技。
 泣き崩れる木村さんも胸に迫るものがあった。
 すごい……健気な少女を見事に演じている。男心をくすぐる可愛さがあるだけに、よけいにぐっとく
る。
 舞台はここで暗転。
 今まで泣いていた木村さんが、ぱっと泣きやみ、顔を上げる。
 そして高崎に駆け寄り、がしっと抱きついた。
「やったじゃないか。長台詞言えたじゃないか、お前!」
 自分のことよりも、高崎がやり遂げたことが嬉しかったらしい。思わず抱きつくぐらいだから相当だ。
「そ……そういえば、一度も台詞飛ばなかった」
 自分でも今気づいたのか高崎は、はっとしたように言った。
「この調子なら、お前達も軌道に乗れるな」
 湊の口調も心なしか嬉しそうだ。
 そうだよな。
 どのキャストよりも、今回は高崎のことが一番心配だったに違いない。
「やっぱ、永原さんの舞台毎日、iPodで聞いてた甲斐があったなぁ」
「へぇ、高崎も結構努力してたんだな」
 感心したように木村さんが言う。
 やり方は、某英会話教材を思い出すが、それが功を奏したのなら何よりだ。
「じゃ、この調子で他のシーンもやろうぜ」
 木村さんの言葉に、俺と高崎もノリノリで「おうっ!」と声を上げた。
 今の高崎も、木村さんも何か凄くいい感じだ。
 一緒にやっていたら、俺自身も今まで以上に、いいレアティーズが演じられる。
 やっぱ演じるのって凄く楽しい。
 どんな役でも、演じられることって凄く幸せなんだな。
 高校時代の悔しさは一生忘れられないだろうけど。
 それでも、このレアティーズを演じきることで、きっとハムレットも決して呪わしい存在じゃなくなると
思う。
 それほどまでに、俺は今、凄く気分が良かったのだった。




         


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呪わしきハムレット8

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