呪わしきハムレット6



 稽古場に戻ると、オフィーリア演じる木村さんが祈祷書を抱きしめ、ハムレット演じる高崎に声を掛け
ていた。
「ハムレット様。最近、お体の具合は?」
 あ……けっこう、自然な少女の声?
 元々声が高い木村さん。いつもより高めに出すだけで、自然な女声になるんだ。
 う、うらやましいな。
 俺なんか裏声使わなきゃ、そこまでの声でないぞ。
 そして高崎演じるハムレットも、どこか皮肉な笑みを浮かべ。
「いやご親切なおたずね。おかげで元気なものだ」
 そしてオフィーリアは手に持っている宝石を震えた手で差し出す。
「いただいたもの、ずっとお返ししようと。お受け取りください」
 ハムレットは冷めた眼差しでそれを一瞥してから一言。
「何もやった覚えはないぞ」
「そんな!優しいお言葉をそえてくださったからこそ大切にしてまいりましたのに。その香りが消えた
今は欲しくはありません。どうぞお受け取りを」
 するとハムレットは、オフィーリアの顎を持ち上げ、その顔をのぞき込む。
「くくく……おまえは貞淑か?」
「……え?」
「美しいか?」
「なぜそんなことを?」
 オフィーリアは訝しげに問い返す。
「お前が貞淑で美しいのであれば、その二つは互いに付き合いさせぬがいいと思ってな」
「美しさと貞淑は、よい取り合わせではありませんか? 」
「いや、美しさが貞淑な女を不義という奈落に陥れる。昨今、時勢がれっきとした証を見せてくれた。
そう……かつては、お前を愛していた」
 高崎が木村さんの頬を両手に挟み、優しく囁くように言う。
 オフィーリア演じる木村さんはそっと目を閉じるが───
 ハムレットはにっと笑い、その耳に残酷な言葉を囁く。

「残念ながら、愛してはいなかった」


すごいな、台詞が短いのもあるけど、高崎の奴ちゃんとハムレットを演じている。
……。
……。
しかも上手い。
ただ上手いだけじゃなく、残酷な言葉を継げる時のあの微笑みは、背中がぞくりとするような凄みと、
胸を突かれるような色気がにじみ出ていて、工藤さんが彼を天才だと言った気持ちが分かるような気
がした。
高崎は本能のまま演じている。何の計算もなく。自分の嗅覚に従って自然な演技をすることができる
んだ。
しかし、そこで湊が手を上げた。
そして。
「木村、何だ、そのオフィーリアは?」
 そつなく演じていたと思われる木村さんを、湊は容赦なくばっさりと切った。
「……それは」
 木村さんも反論できず、俯いている。
「まぁ、自分でも自覚はしているみたいだな。全然女になっていないって」
 KONのメンバーの間にざわめきが起こる。
『え?今の結構よかったと思ったけどな』
『まぁ、僕はきむさんより、高崎君が台詞とちらないか、の方が気になっちゃっていたから』
 という大道具さんたちの言葉に、俺も密かに同意してしまう。
 そうだ、俺、高崎のことばっか気になって、そんなに木村さんのこと見てなかったような気がする。
 台詞覚えはともかく、高崎はやっぱりアイドルだけあって、何もしなくても華がある。それにくわえ
て、演技も上手い。
 客の目は自然と彼に集まる。
 オフィーリアの存在は完全にかすんでしまうんだ。
「いつも自身に漲っているお前が全然いないぞ?女役はそんなに難しいか?」
「……」
 静かに問いかける湊に、木村さんは悔しそうに唇を噛んでいる。
「少なくとも、そこにいる高崎を惚れさせるぐらいの気持ちでいかないと。今のお前は、どうも女になろ
う、なろうとして空回りがちなんだ」
 言いながら、湊はおもむろにジャケットを脱いでTシャツ姿に。
「浅羽、台本を貸せ」
 すぐ後ろにいる俺に声をかける。
 俺もそうだけど、みんなの前では当然名字で呼ぶ。
「はい」
 俺は頷いて湊に台本を渡す。
 湊はざっと台本に目を通すと、おもむろに高崎に歩み寄り。
「ハムレット様、最近お体の具合は?」
と問いかける。
声は全然女じゃない。
それなのに、小首を傾げるしぐさ。それに台本を小道具の祈祷書がわりに抱いて歩み寄る姿は女性
そのもの。
湊は一瞬にしてオフィーリアに化けていた。
「あ…………ああ……元気だよ」
 おいおい、高崎。台詞が抜けてるぞ!?
 呆気にとられて、というか完全に惚けて湊の方見てるし。
 お前って本当に惚れっぽいな。勘弁してくれよ。
 湊は恐る恐る手を差し出す。声と同時にその指先も震えていた。
「いただいたもの、ずっとお返ししようと。お受け取りください」
 高崎は我に返ったように目を瞬きさせてから、気を取り直して次の台詞を言う。
「何もやった覚えはないぞ」
「そんな!優しいお言葉をそえてくださったからこそ大切にしてまいりましたのに。その香りが消えた
今は欲しくはありません。どうぞお受け取りを」
 するとハムレットは、オフィーリアの顔をのぞき込み、目を見開いて問いかける。
「くくく……おまえは貞淑か?」
 木村さんの時は顎を掴んで持ち上げていたけど、湊は背が高いので高崎自身、その演出に即興で
変えたんだ。アドリブが効くなぁ。
「……え?」
「美しいか?」
「なぜそんなことを?」
 湊は大きく目を見開いて、ハムレットを凝視する。
「お前が貞淑で美しいのであれば、その二つは互いに付き合いさせぬがいいと思ってな」
「美しさと貞淑は、よい取り合わせではありませんか? 」
「いや、美しさが貞淑な女を不義という奈落に陥れる。昨今、時勢がれっきとした証を見せてくれた。
そう……かつては、お前を愛していた」
 高崎が湊の首に手を回す。
 オフィーリア演じる湊はそっと目を閉じるが───
 ハムレットはにっと笑い、その耳に残酷な言葉を囁く。

「残念ながら、愛してはいなかった」



「………………」
 木村さんは目をまん丸にして、湊を見上げていた。
「ま、俺が演じたらこんな感じだが」
「……でかいオフィーリアっすね」
 ぼそりと言う木村さんのおでこを湊は軽く小突く。
「問題はそこじゃないだろ。こんなデカイ俺でも演じようと思えば演じられるってことだ」
「確かにそれらしく見えましたけど……やっぱデカイっすよ」
「実際は俺が演じるわけじゃないからそれはいいの。お前はオフィーリアを演じるには一番有利な容
姿なんだから、一番それらしく演じられる筈だぞ」
「そうかなぁ。工藤さんに比べたら」
 言いかける木村さんの両肩を湊はぽんっと叩いて、にこやかに笑って言った。
「大丈夫だ。お前みたいな顔が好みの男は山ほどいる」
───それ褒めてるんですよね?」
 不審な目で湊を見る木村さんに対し、湊は笑ったまま。
「いいから演じればいいんだよ。もっと自分を捨てろ。もっと言えば、自分が男だってこと金輪際忘れ
ろ。男のプライドという余計なもんが残っているから、そんな中途半端な演技になるんだ」
 と口調はかなりどすがかった声で言うのだった。
「わ……わかったす」
 木村さんは湊の笑顔のどす声に空恐ろしさを感じたのか、素直に頷くことしかできなかった。
 なんだか疲れた顔で、部屋の隅のパイプ椅子に座り項垂れる木村さん。
───単純に怒る分、今さんの方がまだいいかも」
 とぼやくのだった。
 横にいる久野さんは、そんな木村さんの肩を揺らして。
「おい、しっかりしろ、木村。いない人間を美化すんな。今さんだったらお前、今頃無傷じゃすまない
ぞ」
「は……!?そ、それもそうだな」
 我に返ったように言いながら、木村さんもう一度台本を開くのだった。
 一方湊は、高崎の方を見て。
「今の下りは凄く良かった」
 と言った。
 ストレートに褒められて、高崎は顔を紅潮させながら、後頭部を掻いた。
「い、いや、台詞が短かったから」
「それだけ役に入り込めるのなら、台詞もちゃんと覚えられる筈だ。いいか、高崎。まずは一字一句間
違えないようにしよう、とは考えなくていい。ハムレットになりきることに集中しろ。ハムレットになりき
れば、台詞は自然とついてくる筈だからな」
「いや、でもさすがに二行、三行飛んだらやばいでしょ?」
「最初は二行、三行飛ばしてもかまわない。とにかく最後まで演じることが重要だ。一番いけないのは
台詞に捕らわれて、演じる事が途切れてしまうことが一番いけないことだ」
「……」
「お前なら絶対に出来る」
 そう言って湊は高崎の肩を叩いた。
 ああ……教師時代のこの人って、そんな感じで生徒に言い聞かせていたのかな。
 同じ学校にいながら、高校教師時代の湊を知らないのが少し悔しいような。
 担任とまでは言わないから、英語ぐらいは教わりたかったかも。
「凄いな……あれが相模ひろしか」
 湊の演技を目の当たりにした、晴沢の素直な感想。
 ぎゅっと拳を握りしめている彼の心境がどんなものかは分からない。
 どこか、悔しそうに見えたのは気のせいか。
 同じ俳優である以上、圧倒的な演技を見せつけられたら、そんな気持ちになるのも無理はないけ
ど。
 俺だって、一番最初あいつに実力の差を見せつけられた時、そんな気持ちになったから。




その日、俺はこれといった出番がなく、稽古が終了した。
レアティーズはどっちかというと後半で活躍するからな。
最初はちょこっとしか登場しないから仕方がないけど。
一足先に帰り支度を済ませた木村さんや久野さんにお疲れ様、と言ってから、ロッカールームに入っ
た俺は、はっと目を瞠る。
丁度湊が着替えている所で、汗だくになったTシャツを脱いでいる所だった。
色んな奴を指示するのに、動き回っていたもんなぁ。
「お疲れ様」
 稽古も終わったし、部屋に誰もいないのを見計らって俺は、普段通りの口調で湊に言った。
「ああ、お前も」
湊も頷いて、にっこり笑う。
……んっとに、そうやって笑うとマジ格好いい。
危うく見惚れそうになるので、俺は敢えて目を反らしながら尋ねる。
「どんな気分なんだ?KONの演技指導しているのって」
「凄く楽しい……でもまぁ、俺は所詮、主じゃないから、気楽にやれる部分もあって、純粋に楽しめる
んだろうけど」
「そっか。俺も久々にあんたの駄目だし食らうのかと思って少し緊張してたけど、今日の駄目だしとき
たら、廊下に立ってろだもんな。俺、学生の時も立たされたことなかったのに」
 シャツを脱ぎながらブツブツ言う俺に対し、湊は苦笑する。
「仕方がないだろ。本当に煩かったんだから。優等生のお前にとっちゃ、滅多にない体験が出来て良
かったじゃないか」
「全然良くない」
「俺だって好きでお前を閉め出したわけじゃない。本当なら、俺が見えない所で晴沢と一緒にいさせ
たくはなかったしな」
「……っ!!」
 不意に背中が温かくなった、と思いきや湊の手が後ろから回ってきて俺を抱きしめてきた。
「お……おい。こんな所で」
「晴沢なんだろ?お前に気がある奴って」
 武器ともいえる、いい声で問いかける湊に、俺は一瞬にして身体が熱くなるのを感じた。
「そ……そうだけど……俺は全然その気ないし」
「でも向こうは、その気みたいだな。プライベートで会ってたら、とっくにぶっ飛ばしている所だ」
「も、元教師が言う台詞じゃないだろ、それ」
「ああ、元教え子とこんな所で、こういう事するのも元教師としては駄目だな」
 言うが否や、湊は俺の顎を上に持ち上げ、そのまま唇をかぶせてきた。
「あ……」
 抗議しようと口を開きかけたら、そのまま舌をいれられた。
 いつもと違って、少し乱暴に口腔内を愛撫される。だけど、それが妙に刺激的で、俺の声は抗議どこ
ろかあえぐ声に変わっていた。
 人が近づいてくる足音が聞こえてくるまで、湊のキスは続いた。



 着替えを済ませ、何事もなかったかのように部屋を出た俺たちは、ロビーでコーヒーを飲んでいる晴
沢と高崎に出会った。
「お疲れ様っす!!」
 高崎が椅子から立ち上がり湊に向かって礼をする。
「お疲れ様です……」
 晴沢が何故か俺と湊を交互に見てから、やや上擦った声で挨拶をした。
「明日は今日やったシーンと同じ所を、お前と工藤でやるからな」
 湊は晴沢の肩に手を置いて、笑いかける。
 ぶっとばす、と言った相手にも、仕事に置いては平等に扱うんだな。
───よろしくお願いします」
 晴沢も一応笑顔を浮かべ、もう一度頭を下げているけど……何だろう?目が笑っていないような気
がする。
 彼は俺の方を見て、問いかける。
「相模さんとは、前から知り合いだったの?」
「……」
 そうだよな。
 いくら演技指導と役者の関係とはいえ、一緒に仲良く歩くってパターンは普通ないもんな。
 俺は肩をすくめて答える。
「ああ、前に言っただろ?“付き合っている奴”がいるって」
───
 目を瞠る晴沢に、俺は極力さらっとした口調で言った。
 何もこの場で隠すことはないし、晴沢にはこの際だからはっきり言わなきゃいけない。
 俺の恋人はこの人だってことを。
「そっか……それじゃ、今の俺じゃ駄目だよな」
 自嘲気味に項垂れる晴沢。
 高崎は何が起こったのか分からず、俺と晴沢を交互に見ていた。
「いくぞ」
 湊に促され、俺は頷いた。
 これ以上一緒にいても、今は気まずいだけだ。
「あ……じゃ、またな。浅羽」
 もう一つ状況がつかめていない高崎が、気後れしたように俺に挨拶をしたので、俺もそれに軽く手
を振ったのが最後で。
 晴沢がその時どんな顔をしていたのかは、見ることができなかった。




          





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呪わしきハムレット7

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