春来5


 最寄り駅から歩いて五分の場所に、ここ、くらしま劇場はある。

 日本有数の財閥、蔵嶋氏が建てた劇場だ。蔵嶋氏は大の演劇好きでも有名で、目をかけた俳優、
女優には惜しげもない援助を送る。

 今さんも、その俳優の内の一人だ。

 劇団を立ち上げた当時から、蔵嶋氏はタダで劇場を貸したのだとか。

 東京でも屈指の大劇場だ。

「浅羽君、ちょっとお出でよ」

 大道具さんに頼まれて、舞台の袖に道具箱を置いていた俺は、工藤さんに手招きをされて,

舞台の方へ近づいた。

 薄暗い袖の空間から出た瞬間、突然視界が広くなる。

 舞台の上。

 しかも大舞台の上だ。

「これからはここで演じるんだ」

 工藤さんの弾んだ声に、俺は何も言えずただ頷くことしかできなかった。

 無数の客席……いや無数なわけないんだけど、正面を向くと視界全部が客席だ。

 見上げると吸い込まれるように高い天井にはいくつものスポットライトが。

 そして見渡すと、見たこともないぐらい広々とした舞台が広がっている。

 光沢がある床だけどよく見たら傷がある。

 数多くの役者さんが踏んできた痕跡がそこにあるのだ。

「すごい……」

「僕も初めてここに来た時は、夢なんじゃないかって思ったよ」

「……ええ」

 本当に夢みたいだ。

 こんな大きな舞台で演じられるなんて。

 つい最近まで、俺はあの客席のどこかに座っていたんだ。

 でも今度は。

「おい、んなとこでぼーと突っ立ってないで早く準備しろ」

 舞台の袖から聞こえる今さんの声で、俺ははっと我に返る。

 そうそう準備の途中だったんだ。

「じゃ、僕等も着替えよっか」

 片目を閉じて軽く舌を出す工藤さん。

 そういう仕草って本当にカワイイよなぁ。

 今更ながらに男なのが惜しいような。

「ホント、この日が待ち遠しかったんだよね」

「工藤さんも舞台、好きなんですね」

「もちろん!君と同じだよ。だからさ、真っ先に舞台の上に立たせたかったんだ。君の喜ぶ顔が見た
かったから」

 無邪気な笑顔で、殺し文句を言うなぁ。

 うん、だけど、工藤さんってみんなに対してそうなんだよな。

 君の笑顔が最高とか、君のこういう演技は凄く好きだっといった感じで、一人一人の魅力をきっちり
捕らえて、その部分を褒めちぎったり。

 今さんが鞭なら、この人は飴なんだろうな。

 工藤さんの言葉には俺も何度も励まされたし。

「何だい?そんなにじーっと見詰められたら照れるんだけど?」

 視線を感じたのか、先だって歩いていた工藤さんは照れ笑いしながら、振り返った。

「……あ、俺、そんなに見てましたか?」

「うん、超視線感じたもん」

「いや、工藤さんっていい男だなぁって思って」

「ホントかい!?そ、そんなこと言って貰うの初めてだよ」

 本当に嬉しいみたいで、工藤さんの大きな目はキラキラ輝き、頬は紅潮している。

「え?初めてなんですか」

「だってさぁ、この顔じゃん。カワイイとか綺麗とか、男にすんの勿体ないとかは腐るほど言われたけど
さー」

 ……あー、そりゃそうかもしんない。

 俺も心の中ではそう思っていたし。

「やっぱり男である以上は、男前とか男らしいとか言われたいわけよ」

 へー、そうなんだ。

 全然そんな風に思っているなんて思わなかったけどなぁ。

「ねぇ、浅羽君」

 工藤さんは俺の両肩に手を置いて、その顔をのぞき込んでくる。

「何ですか?」

「君が女の子だったとして、僕と……そうだな、じゃあ、僕と相模君、どっちが男前だと思う?」

「え!?……な、何で来嶋さんの名前が」

「ん?、あ、別に健ちゃんでもいいけど」

 健ちゃん?

 あ……、紺野さんのことか。

 な、何だ。別に来嶋を引き合いにしたのには深い意味はないのか。

 いや、深い意味ってどういう意味だよ、俺。

 焦るな、俺。

「じゃあ、僕と相模君と健ちゃん、どれがいい男だと思う?」

「……いや、みんなそれぞれ」

「君のタイプはどれなのだ?」

 どれと言われると。

 ……。

 ……。

 ……。

 ……何で来嶋の顔が真っ先に思いつくのだろう?

 しかも。


“夕べは……良かったぞ”


 今朝の来嶋の顔が妙に鮮明に。

 いやいやいやいや!

 ここはもう話しの流れからして答えは一つだ。

「そりゃ、工藤さんですよ」

「よっしゃ!」

 ぐっと拳を握りしめ、ガッツポーズをする工藤さん。

 うん、俺は正しいコトを言った。

 でも顔が微妙に熱くなる。

 今朝のコトを思い出してしまって。

 来嶋の寝顔や寝息、それに身体も……肌の感触や温度まで。

 本当に、俺、おかしいよな。

 こんなほてった顔じゃ、舞台に出られやしない。

 着替える前に一度顔を洗おう。

 俺は更衣室へ向かう前に、まずはシャワールームの前ある洗面所へ向かうことにした。



 

 そこが大きな舞台であろうと。

 小さな舞台であろうと。

 スポットライトを浴びた瞬間、ほっと安堵した気分になる俺はおかしいだろうか?    

 同じ状況下に置かれると、大概の人は頭が真っ白になったり、緊張の頂点に達したりするらしい。

 ちなみに工藤さんはライトを浴びるとテンションが高くなるのだそうだ。

 俺は何だか自分の在るべき場所に帰ってきたような気がして、なんだかほっとする。

 舞台の上。

 大の字に寝転がりながら、信長演じる俺はぼうっと空を眺める。

 実際はただの天井なんだけど。

 目の前に青い空、そこに鳶が飛んでいる光景も見えるようだ。

 そこに駆け寄ってくるのは、工藤さん演じる村岡鬼刃。

 息を切らせながら、主君となった信長の元に歩み寄り跪く。

「こちらに居られましたか。殿、屋敷にお戻り下さい」

「おう、午後から茶会じゃったの」

 のんびりとした声で、信長は言った。

 そこには春の温かな日差しがあって、行くのが何だか億劫になる。

 いや、それ以前に、鬼刃がここにやってきたことで、余計茶会へ行く気が失せてしまった。

 鬼刃は苛立った口調で。

「殿!」

 と今一度信長を呼ぶ。

 信長はひょいっと片手を上げ、鬼刃に近くへ来るよう手招きをする。

 訝しげに近づくと信長は「もっと近う」と鬼刃の手を引く。

「……!」

 鬼刃は両手と膝を地面に着け、信長の顔を真下に覗く格好となる。

「も、申し訳ござ」

 慌てて引こうとする鬼刃の手を捕らえ、もう一方の手は鬼刃の頬に触れる。

───

「……美しいな」

「と、殿」

 改めてしげしげと真上にある人物を見ながら讃美する。

 鬼刃演じる工藤さんははっと息を飲んで。

 どこか恥じらうように目を伏せる。

 何とも言えない、色っぽい仕草だ。

「美しい鬼じゃ、そなたは」

 俺は眩しそうに目を細めて言った。

 愛しい恋人を見詰めるかのように。

 信長の心は歓喜に溢れている。

 自分は最上の宝を手に入れた。

 心から親愛できる存在巡り会い、今傍にいる歓び。

 美しい容貌の鬼刃であったが、自分の部下になって以来、その美しさはますます増しているように
思えた。

 心底から自分を慕う眼差しがそこにあったから。

「殿、参りましょう」

 鬼刃の言葉に。

「うむ」

 信長は頷いてから、ゆっくりと起きあがった。

 少しでも鬼刃と共にいる一時を噛みしめるかのように、ゆっくりと。



 暗転


 

 次は信長の部下達のシーンなので、俺は出番待ちとなる。

 袖にある腰掛けに座って一息つく俺に、工藤さんが歩み寄って隣の席に腰掛けた。

 そして。

「今の演技、かなりどきっとしちゃった」

「え……」

 俺は目を瞠る。

 どきって、どういうことだ?

 なんかハラハラさせるようなコトしていたかな。

 工藤さんはにこっと笑ってこちらの顔をのぞき込む。

「浅羽君、ひょっとして好きな子ができた?」

「は……?」

 工藤さんの言葉に、俺は目をまん丸くする。

 好きな子って……何でそんなことを思うんだ??

 俺の顔を見て、工藤さんはちょっと不思議そうに首を傾げる。

「んんー?違ったかな。僕、こういう勘って、わりと当たる方なんだけどな」

 そうなんだろうか?

 自分に思いを寄せている人間に対しては、その勘は働かない……のかな。

 結構、KONの中でもこの人に思いを寄せる人は多い。

 何しろ今さんにボロクソ言われた後、大概この人がフォローするみたいに優しい言葉をかけるから、
ころっと転ぶ人が多くて。もちろん、それだけじゃなくて、美少女並みに綺麗な顔だし、腕っ節が強い
男らしい所もあったりするから。男女ともに好かれているのだ。

 だけど工藤さんは、自分は全然モテないといつもぼやいている。

 ぼやかれている相手……例えば紺野さんだって、実は工藤さんのことが好きだったりするのに。

「何の根拠で、俺に好きな子が出来たって思ったんです?」

 俺はくすくす笑いながら問いかける。

 工藤さんは的が外れたことに多少がっかりしたように口を尖らせて言った。

「だって君が僕を見詰める目がさ、今までと全然違っていたから」

「そうですか?いつも通りのような気がしましたけど」

「ううん、全然違う」

「そうかな?」

「うん、そう。もしかしてさ、自覚ないんじゃない?自分が恋をしている」

「え」

「君、結構真面目だもの。目の前のことに夢中に成りすぎていて、気づいてないのかもよ?誰か気に
なる人とかいないの?」

 気になる人?

 気になる人……。

 ……。

 ……。

 ……何だよ、だから、何で来嶋の顔が出てくるんだ。俺。

 違うだろ。

 この場合はKONの中の誰か女の子とか。

 例えば大見麻弥とか……絶対ありえねー。

 例えばここの看板女優の二名瀬さんとか……年上だけど、彼女、いいよなぁ。

 例えば礼子さんとか……年上すぎ?

 あの中なら二名瀬さんなんか美人だし、演技も旨いし、性格もすごくいいし素敵だとは思うけど、で
も、だからといって異性として意識しているトコまではいってないよな。

 麻弥は圏外だし、礼子さんはどっちかというとお母さん……じゃなくてお姉さんみたいな感じだし。

 他にもカワイイ女の子がKONにはいたりするけど。

 全然、そんな意識とかしたことなかったし。

「とにかく、さっきの演技の感覚、ちゃんと覚えておいてね。ホントにすごく良かったからさ」

「……は、はぁ」

 さっきの演技と言われても。

 俺自身はいつも通りやったに過ぎないのだけど。

 恋をしている……か。

 今更ながらに思う。

 恋って何なんだ?

 


 劇場入り初の通し稽古はとりあえず滞りなく終わった。

 まぁ、後の反省会で今さんに文句言われたりはしたけどね。

 生まれて初めての舞台で、緊張したせいか台詞が飛んでいた人もいたし、歩幅を変えなきゃいけな
いから、今までのリズムが狂って演技が乗らなかったりとか。そう、俺以外でも初舞台の人が結構い
るんだよな。

 俺も最初は演技が乗らなかったけど、だんだん舞台の広さに慣れてきて後半はなんとかいつもの
調子が出た、といった感じか。

 慣らさなきゃ仕方がないよな。

 タオルで汗を拭きながら更衣室に入った俺は、ロッカーを開いた。

 そこに工藤さんも更衣室に入ってきて、俺の顔を見てにかっと笑う。

「おつかれー、浅羽くん」

「お疲れ様です、工藤さん」

 工藤さんは隣のロッカーの戸を開けてから、鼻歌交じり、衣装の着物を脱ぐ。

 そこに現れた綺麗な身体に俺は内心一驚する。

 へぇ、工藤さんって結構鍛えているんだな。

 筋肉質とまではいかないけど、結構しなやかに引き締まった身体していて。

 あーあ、俺もある程度は鍛えなきゃ駄目だよな。

 俺も着物を脱いで、自分の身体を改めて見る。

 貧弱ではないけど……でも逞しいとも言い難い。

 マッチョになりたいとも思わないけど。

 でもある程度は鍛えとかないと様にならないよな。

 今さんなんかボクサーみたいな体型してるしな。

 紺野さんは、レスラーのような体型だし。

 あ……永原さんは、そこまで鍛えているって感じじゃないな。

 その代わり身体がすごく柔らかかったりするんだけど。ヨガとかやってるし。

 来嶋だって地道にトレーニングして、結構イイ身体しているし。

 と、突然今朝の全裸を思い出してしまって、俺はどきっとする。

 な、なんだ?

 何で来嶋の裸を思い出すとこんなにドキドキするんだ。

 男の身体なのに。

 俺は思わず自分の胸に手を当てて、今一度、工藤さんの身体を見てみる。

 トランクス一枚の姿だけど……何も感じない。いや、むしろ何で男なんだろう、と がっかりしている
自分がいる。

 ……俺、本当にどうかしてるよな。

 男の身体見ても何とも思わないのは当たり前だ。

 だけど、来嶋だけは何か違う。

 まだ映画のシナリオを引きずっているのだろうか。

 魔性のラブシーン、結構濃厚だったもんな。

 R指定の映画になるよな、あれじゃ。

 あんなの演じた後だ。

 だから、きっとこんな気持ちに。

 そうだよ。

 そうに違いない。

 俺はシャツに手を通しながら、自分に言い聞かせることにした。

「そういえば、浅羽君。相模君と映画共演するんだって?」

「……っ!」

 ど、読心術あんのか!?工藤さん。

 そんなわけないよな。

 でも、なんつータイミングで聞いてくるんだ。

「え、ええ。だいぶ先の話なんですけど」

「そっかぁ。映画はね、また舞台とは全然違うから大変だよー」

「そういえば、工藤さんも出ていましたよね。確かテレビドラマの映画化した分で」

「うん。いい経験させてもらったなぁ。あの映画を機に仕事も増えたしねー」

「そういえばCウィステリア化粧品からオファー来ているって聞きましたよ?」

「ええ!?誰がしゃべったの」

 工藤さんはひどくビックリしたみたいだ。

 内緒の話だったのかな、ひょっとして。

「礼子さんから聞きましたけど」

「んもー、おしゃべりだなぁ。まぁ、来たには来たけど、断っちゃった」

 Vネックのセーターに首を通しながら工藤さんはさらりと言った。

「こ……断ったって」

 も、もったいないなぁ。

 Cウィステリア化粧品といや、結構大きな会社だけどなぁ。

「自分の親の会社のCMに出たってさ、しょうがないもの」

 ………………へ?

 今、何て??

「ましてやあんなクソオヤジのお陰で、有名になったって言われちゃ、人生最大の汚点にもなるし」

「え……Cウィステリア社ってもしかして工藤さんの」

「そ。ウチの実家がやってる会社」

 ええ!?

 Cウィステリア社って、確か化粧品だけじゃなくて、飲食メーカーや生活用品でも有名で、それに証
券会社にもそんな名前があったような。とにかくかなり大きなグループであることは確かだ。

 その社長令息ってこと!?

「浅羽君」

「はい?」

「君はお父さんとは仲いいの?」

「え……いや、まぁ、時々は連絡とってますけど」

 元気か?そうか、それなら良かった、というくらいの五分程度のやりとりだけどさ。

 すると工藤さんはにっこり笑って。

「うん、親子は仲がいいのが一番だよ。僕はね、親父のこと大嫌いだから。あいつが社長でいる間は
どんなオファーも受けないって決めているんだ」

「工藤さん……」

 そういえば以前聞いたことがある。

 工藤さんのお父さんには何人も愛人がいて、それで異母弟妹も何人かいるって。

 この話は来嶋から聞いた話だ。

 俺も工藤さん自身の口から死んだ異母弟の話を聞いたことがある。

 複雑な家庭環境に育っているんだよな。

 俺の方がまだ幸せだったのかな。

 そういったややこしい問題はなかったし。

 ……多分、俺自身が一番ややこしかったんじゃ。

 そう考えると、ちょっと凹んでしまうな。

 その時、携帯のバイブが鳴った。ここではマナーモードが常識だ。

 工藤さんはロッカーから受話器を取り出し、通話ボタンを押す。

「もしもし、どうしたの?」

 親しげな声だ。

 友達かな?

 俺はシャツのボタンをはめて、ロッカーの鏡を見ながら乱れた前髪を治す。

「うん、いいよ。僕も今終わった所だから。駅のホーム前で待ち合わせね」

 そう言って工藤さんは受話器を切った。

 その顔はどことなく嬉しそうだ。

「誰かと約束ですか?」

「うん、最近よく一緒に食事したりするんだけど」

「……ひょっとして紺野さんとか」

「健ちゃん?健ちゃん誘う時は君も一緒に誘うさ」

──── 紺野さん、どうやら工藤さんはまだあなたのことをお友達としか認識していない様子です。

「それじゃあ、今さんとか?」

「あの人とだったら、駅で待ち合わせる必要ないじゃん。つーか、この後もあの鬼と一緒はヤダ」

 苦いクスリでも飲んだかのような顔になるのも、先ほど工藤さんは今さんにあれこれ文句を言われ
たのが、頭に来ているのであろう。

『おめーはもっと色気が出ねーのか!?』

『出してますよ、フェロモンむんむんなつもりですって!』

『つもりとは何だ、つもりとは!?今のてめーの演技は乳臭えんだよ!』

『うぐ……っ、い、いくら今さんでも言っていいことと』

『俺が言って悪い言葉なんかねぇ!』

 そう言って今さんは工藤さんに向かって、履いていたスリッパを投げつける。

 スリッパは工藤さんの肩と頭の間をすり抜け、パンっと音を立てて壁に当たった。

『どこまで何様なんだよ!』

 そのスリッパを拾って投げ返す工藤さん。

 そのあとじっとにらみ合う二人に俺はハラハラとしたもんだけど。

 劇団員の人曰く、本番近くなるとあの二人はそういったケンカを、よくするのだそうだ。

 まるで夫婦ゲンカみたいだ……と俺は思った。

 本当に今さんと工藤さんって、時々夫婦みたいなんだよな。夫婦というか、家族というか。兄弟とい
うか。

 俺なんかとてもじゃないけど割り込めない、絆みたいなもんを感じる。

 俺や永原さんも長い間師弟をやっていたら、そんな風になれるのかな。

 ……いや、でも永原さんに向かって、物は投げられないよな。物は。

 最も向こうは今さんと違って物を投げるようなキャラじゃないしさ。

「電話の相手は弟。唯一心許せる肉親」

 唯一心許せる肉親って。

 何でもないかのように、さらっと言うなぁ、工藤さん。

 でも、心ゆるせる兄弟がいるのは安心した。

 死んだ弟さん以外にも、そういう肉親がいるんだな。

「君とそんなに年変わらないんだよ。機会があったら会わせたいなぁ。君もなかなか同年代の人間と
話す機会もないでしょ?」

 そうかも。

 KONの中も大見麻弥ぐらいだもんなぁ、同い年って。あいつとは憎まれ口ぐらいしか叩かないけど
さ。

「工藤さんの弟ってどんな人なんですか」

「うん?僕と違って頭イイし、顔もいいんだよねー。あ、写真、見る?」

 そう言って工藤さんは携帯写真を見せてくれた。

 東京タワーの前だろうか。

 屈託なく笑う眼鏡をかけた若者……あ、ホントだ。すっごい格好いい。

 工藤さんとあんまり似てないな。

 あ、お母さんが違うからかな。

 美少女顔の工藤さんと違って、切れ長の目にちょっと立てた短髪、フレームなしの眼鏡がまたよく似
合っているというか。知的で爽やかな男らしさを感じる。

 その時だった。

 俺の鞄の中からも、携帯のバイブ音が。

 ディスプレイには来嶋の名前があった。

「もしもし?」

『お……丁度終わった所か?』

「ああ、これから着替えて帰る所だよ」

『俺も仕事が終わってな。今、この近くなんだけど飯でも食って帰るか』

「奢り?」

『もちろん』

 くすくすと笑いながら答える来嶋に、俺はにんまり笑う。

「じゃあ、食べて帰る」

『よし、駅の改札口の前で待ち合わせな』

「ああ、分かった。後でな」

 そう言って、俺は受話器を切った。

 来嶋と飯食って帰るのって久々だな。

 ここん所、お互いに忙しかったし。

「今の誰からの電話?」

 何故かにこにこ笑いながら尋ねてくる工藤さんに、俺は首を傾げながら。

「え……あ、来嶋さんですけど?」

 と答える。

「そっかぁ、相模くんか!」

 何だか納得したように、うんうんと頷く工藤さん。

「あ……あの?」

「今の顔だよ」

「え?」

「君が相模君に電話をかけていた時の顔、すごくいい顔だった」

「は?」

「その顔、演技でもばっちり出してね」

 工藤さんは親指を立てて、片目を閉じた。

 俺、ただフツーに電話していただけのつもりだったんだけど?

 何か違うのか?

「もしかして君も相模君と待ち合わせとか?」

 何故か意味深な笑みを浮かべながら尋ねる工藤さん。

「ええ、駅の改札口の前で」

「偶然!僕等もそうなんだ。じゃ、そこまで一緒に行こ!」

 こうして俺は工藤さんに引っ張られる形でKONを後にした。



 改札口には、来嶋以外にもう一人待っていた。

 どこかで見たことが……と思いきや、さっき工藤さんが見せてくれた携帯写真を思い出す。

 工藤さんの弟さんだ。

 うわ、二人とも背、高!

 並んでいると目立つなぁ。

 通行人なんかちらちら見てるもんな、二人のこと。

「偶然、そこで会ってな」

 来嶋は以前から工藤さんの弟のことを知っているみたいで、親しげだった。

「浅羽君、弟の冬馬(とうま)だよ。今大学生なんだ」

「はじめまして、兄から話はよく聞いています」

 あ、笑うとちょっと工藤さんににているかも。

 人を好きにする笑みだ。

 大学生ってことは、俺よりも少し年上か。

「いつもお兄さんにはお世話になっています。浅羽洋樹です」

 俺はお辞儀をする。

 すると冬馬さんは写真と同じ、屈託のない笑顔を浮かべて言った。

「あははは、君が兄さんをお世話しているんでしょ?ホントは」

「な、何だよ。僕はバリバリ浅羽君をお世話しているよ!?」

 工藤さんが抗議しながら弟の背中をばんっと叩く。

「自分で言うなよ、バカ兄貴」

 冬馬さんは軽く舌を出す。

「黙れ、バカ弟!」

 さらにバンバンと背中を叩く工藤さん。

 へぇ、仲がいいんだなぁ。

 俺、兄弟とかいないから羨ましいや。

 特に弟さんは、工藤さんと会えてすごく嬉しそうな顔するなぁ。

 あんな風に笑ってくれる相手って……ああ、そうだ。

 兄弟じゃないけど、兄弟みたいな人は俺にもいたなぁ。

 従兄弟の啓ちゃん。

 俺と会う時はあんな感じで笑ってくれていたよな。

 元気にしてんのかなぁ。

 この前送った俺の初舞台のチケット、そろそろ郵便で届く頃だけど。

「あ、せっかくだし来嶋さんたちも一緒にご飯でも……」

 そう言いかける冬馬さんに、工藤さんはぶんぶんと首を横に振る。

「駄目。お邪魔虫は退散するのだ」

 弟の腕を引っ張る工藤さんに、来嶋はきょとんとして。

「別に邪魔じゃないぞ?」

 と首を傾げる。

 すると工藤さんはひとつ大きな溜息をつく。

「あーあ、君はホント駄目な男だね」

「何だ、その言い草」

「そんなんじゃいつまでも前に進展しないでしょ?」

「は?」

「もういいよ。悪いけど、今回は冬馬と二人きりで話したいことがあるから」

 そう言って工藤さんは弟さんの腕を自分の方に引っ張った。

「に、兄さん?」

 冬馬さんの顔が少し赤い。

 え……?

 何だ、この違和感。

 この二人、兄弟なんだよな?

 弟さんの戸惑いがなんか……あれ……異性に急に触られた時のような、あんな戸惑いに似ている
んだけど。

 そりゃ工藤さんは美少女顔だけど。

 いや、でもいくら何でも弟だし。

「じゃあね、相模君。もう、しっかりしてよね!」

 何故か憤慨しながら、弟を引っ張って立ち去る工藤さん。

 な、何だったんだろう?

 それにしても、あの冬馬さんって人、何だか。

 来嶋は来嶋で何だか頭痛でも押さえるかのように、額に手を当てる。

「……あいつ、ホントに馬鹿だな」

「え?」

「弟の視線に全くと言って気づいていないあたり。いつか押し倒されるぞ」

「……押し倒されるって」

「だいたいあいつは、自分の中にある魔性の自覚が全くと言ってないな」

「魔性?」

 魔性といや、今回の映画のタイトルもそうだけど。

 静麻監督が言っていたっけ。

 俺の中には魔性があるって。

 その魔性はとんでもない人間を引き付ける。

 例えば兄弟とか。

 兄弟とか。

 ……。

 ……。

 ……ええ!?

「じゃあ、やっぱりあの弟さん」

「兄弟にそういう思いを抱くというのは俺には信じられん。ほんの気の迷いだろう……って、俺はあの
弟に言い聞かせているんだけどな」

 そういや来嶋にも弟がいたっけ。あと妹も。

 写真で見たことあるけど、二人とも来島に似て美形だったなぁ。

「……」

 工藤さんは弟の手を引っ張って改札口をぐぐってゆく。

 そんな兄を見詰める冬馬さんの眼差しは、どこか愛しそうだった。

 もし工藤さんが弟の思いを知ってしまったら……。

 あんな風にもう笑い合うことはできないんじゃないだろうか。

 そんな日がずっと来ないといいんだけど。

 兄弟すら引き付けてしまう魔性。

 俺の中に、本当にそんなものがあるのだろうか。

 あるとして、俺はどれだけそれを表に出すことができるのだろう?

 そう例えば。

 俺は来嶋の横顔をじっと見詰める。

 今、目の前にいるこの男を、俺のものにすることも可能なのだろうか。

 もし俺がリツキのように、この人を誘ったりしたら。

「洋樹?」

 俺の視線に気づいたのか、来嶋はこっちを見て首を傾げた。

「……!」

 俺は我に返り、慌てて視線を地面にやった。

 な、何を考えているんだか。

 来嶋を誘ってどうするんだ、俺。

 どうせならもっとカワイイ女の子とかでもいいのに。

「それじゃ、俺たちも行こうか」

 来嶋の言葉に、俺は黙って頷いた。

 先だって歩くその後ろ姿を見ながら、俺は自分の胸に手を当てる。

 なんだろう、気分が落ち着かない。

 なんで、こんなにドキドキするのか、自分でも良く分からなかった。



  





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