春来4



俺は帰りの電車の中、『魔性』の台本をぱらぱらとめくる。

 舞台はある私立の高等学校だ。

 そこに通う平凡な高校生リツキ

 リツキには親友のミノルがいる。彼は眉目秀麗で女子生徒にとってはあこがれの存在だ。

(……ミノルの方がモテるのか?)

 台本によるとリツキは地味な少年のようだ。

 両親は事故で他界。

 しかし天涯孤独の彼には同棲している恋人がいた。

 マユリ、という。

(リツキ生意気だな)

 などと思いながら、更に読み進める。

 マユリはまるで人形のように美しい女性だ。

 出会った瞬間、恋に落ちた男達は何人もいたし、マユリの親友の恋人も、彼女に恋に落ちた。その
せいで親友を失った過去を持っていた。

 魔性だ

 魔女だ

 それが彼女に貼り付けられたレッテルだ。

 年下の恋人リツキとの生活はそんな彼女の傷心を徐々にいやしていった。

 そんなマユリがリツキの学校へ教育実習生としてやってくる。

 若く美貌の教育実習生に何人もの男がまた恋に落ちた。特にリツキの担任である藤木は学校でも
随一の美男子で、思いをマユリに告げたそうである。しかし、マユリは恋人が居るからと言って藤木
の告白を断った。

 その藤木の思いを寄せるマサコは、マユリに嫉妬し取り巻きである男達を嗾けた。

 マユリは男達に乱暴された上に殺されてしまう。

 夜帰ってくるのが遅い彼女を心配したリツキは、学校にやってくる。

 そこに逃げるようにして校舎を出る二人の男の姿を認める。

 そして教室の中発見する恋人の亡骸。

 慟哭するリツキ。

 彼は恋人を殺した男たち、その男を嗾けたマサコに復讐を誓う。


 半年後

 地味だった少年リツキは、徐々に変貌を遂げてゆく。

 次第に異性に騒がれるようになる彼に、美少年好きのマサコもすり寄る。

 ミノルはそんな親友を見てぞっとする。

 リツキの顔はだんだんマユリに似てきていることに。



 俺は台本を閉じて息をつく。

 まだ序章に過ぎないのに、何だか濃い内容だ。

 俺は台本を閉じて電車から降りる。

 アパートは歩いて十五分くらいだ。来嶋は今日は帰っているだろうか。

 ここのところ忙しいみたいで帰ってこない日も多い。

 最近では某アーティストのプロモーションビデオに、あでやかな着物姿で出演している。 ロックなん
だけど和風テイストの映像。赤く鮮やかな着物に化粧もしているので、男か女か分からない。どっち
にしても綺麗には違いないし、またどっちか分からないという謎めいた存在が更に美しさを際だたせ
ている。紅葉を背景に扇子を持って舞う姿は、本当に来嶋なのかというくらいに艶めかしい。

 連ドラの出演も決まっているらしく、役者としては順調な第一歩を踏んだというとこだろう。

 俺はアパートの鍵を開けながら思う。

 もしこのまんま売れっ子になったら、このアパート生活に終止符を打つだろう。

 だとすると、俺ももういい加減、来嶋とは別々に暮らさなきゃいけない。

 このままじゃいけないのは分かっている。

 だけど……


「ずっと一緒にいたいんだ」


 部屋の中に入った瞬間、無意識に漏れた台詞。

 何故、自分がそんな言葉を漏らしたのか考えて、それが先ほど読んだ台本の主人公の台詞である
ことを思い出す。

 リツキが恋人マユリに告げた台詞だ。

 何故、そんな台詞が無意識に漏れたのか。

 確かに来嶋と一緒にいるこの空間は居心地がいいし、役者の先輩である彼が一緒にいるというの
は心強い。

 でもそれだけじゃなくて───

「早速台詞の練習か?」

 くすくすと笑い混じりに尋ねられ、俺はびくっと体を震わせた。

 あ……居間の電気がついている。

 それにシャワールームから出たのであろう、来嶋がジーンズに上半身裸の状態で、首にタオルを引
っかけて、冷蔵庫のビールを取り出している所だった。

 部家が明るくなっているのにすら気付かないなんて……俺、よっぽど意識がどっかに飛んでいたの
かな。

「た……ただいま」

 自分でもかなり狼狽えているのが分かる。声がうわずっているし。

「おかえり。今日は少し遅かったんだな」

「あ……ああ。稽古はいつも通りの時間に終わったんだけど、凄いお客さんが来たから」

「もしかして、静麻監督か」

 尋ねられ俺は目を丸くする。

「何で分かったの?」

「俺のトコにも来たからな。映画に出て欲しいって」

「え?」

 一瞬、耳を疑ってもう一度尋ね帰す俺に、来嶋はにっこりと笑って、ビールで乾杯の仕草をしながら
言った。

「どうやら、お前とは映画で初共演、ってことになりそうだな」

「!?」

 まだ信じられなくて、俺は思わずじっと来嶋の顔を見つめていた。

 初共演?

 俺と来嶋が?

「何だかんだ言っても、多分本格的な撮影は二年後になるだろうけどな。今は別の映画の撮影の為
に日本に帰っているんだ。だけど、既に監督は台本も仕上げていて、キャストも決めている。いや、キ
ャストに関しては、多分もう、ずっと前から」

「……」

 もう、ずっと前から────

 そうだ、俺はもうずっと前から監督に声をかけられていたんだ。

 あの桜の木の下で。

「来嶋はどんな役をやるか聞いている?」

「俺は主人公リツキの担任役、藤木だよ」

 来島は居間のソファーに腰掛け、ビールを空ける。

「教師役か。ぴったりじゃない」

 俺もまた冷蔵庫からビールを取り出して、来島の隣、ソファーの座るところに背中を預けながら、床
の上に腰を下ろす。あ、ちなみにビールはノンアルコールです。

「そりゃ教師だったしね」

 ビールをつぎながら、苦笑混じりに答える来嶋。

 そうなのだ。この人は元々、高校の教師だった。

 だから多分、どの役者よりも教師という役ははまるに違いない。

 高校という現場の空気を知っているのだから。

 ふと、俺は山西女史の顔を思い出した。

「今日付き人の仕事が、オフだったからさ。久しぶりに高校へ行ったんだ。山西先生に呼ばれてさ」

「山西に?あいつ元気にしていたか」

 言ってから来嶋は、ごくごくとビールを飲む。

 この人は結構飲むペースが速い。

 だけど、体質的には弱いみたいで、すぐに顔が赤くなるのだ。

「相変わらずだったよ。今は小池先生に代わって演劇部をばしばし扱いているし」

「だろうなぁ。あいつこえーもんなぁ」

 来嶋の言葉に俺は思わず吹き出した。

 この人にも怖いって言わせるとは、流石山西女史。

 けれども言葉の端々に、やっぱり来嶋と山西女史には親しみめいたものを感じた。 

 空になった来嶋のコップにビールを次ぎながら、俺はさりげなく尋ねた。

「来嶋って山西先生のコト、どう思っていたの?」

「どうって?」

「大人の男なら分かってんだろ?どうと聞かれたら、好きだったのか?とか女性としてどんな風に見て
いたのかってことだよ。あんな美人だとそれなりにいいなぁっとか思わなかったわけ?」

「そりゃね。最初は誰だって、あんな美人を前にしたら“お!?”とは思うけど、中身知ったらなぁ……
……あいつこえーだろ?」

 本人がそばにいるワケじゃないのに、何故か声を潜ませて来嶋は言った。

 うーん、山西女史はどうも、生徒だけじゃなく、教師に対してもスパルタだったのかな?

 来嶋も案外注意されていた人間の一人だったのかもしれない。真面目な彼女にとっては、

教師か役者か、どっちつかずだった来嶋は、さぞ、ぷらぷらしていたように見えたに違いない。

「山西先生言ってたよ。あんたには好きな人がいるみたいだって。それってホント?」

 俺の問いかけに。

 来嶋は不意にビールを飲むのを止め、コップをテーブルの上に置く。

 逆に、問いかけられた。

「お前、それマジで聞いてるの?」

「え……あ、いや……マジという程じゃなくて……興味半分というか」

 真剣な目……とは言っても、半分酔っぱらって座っちゃってる状態だけど、じっと見つめられて俺は
どきまぎする。

「おい、ここに座れ」

 勧められて俺はソファーに腰掛ける。すぐ隣には来嶋の顔が間近にあった。

 やっぱり近くで見ても格好いい。

 その顔が更に近くなった。

 来嶋の目が視界いっぱいになる。

 額に暖かさを感じた。

 来嶋は俺の額に自分の額をくっつけてささやくように言った。

「お前も役者馬鹿だな」

「え」

「たくさん練習したよな。けんかのシーンも、夢を語らうシーンも。それにラブシーンも」

「あ……ああ。そうだな」

「そん中でもラブシーン、特に多かったよな?変だと思わなかった?」

 額が離れ、今度は唇が耳元に近づく。

 熱い吐息が耳に感じ、俺は頬が赤くなる。

 自分でも何で、こんなに胸が高鳴るのか分からない。

「でも、ラブシーンは一番盛り上がって大事なシーンだし」

「他にも大事なシーンはあった」

「き……来嶋」

 視界がいきなり天井になった。

 押し倒されたのだ。

 来嶋は俺の両肩をしっかり押さえつけ、食い入るようにこっちを見ている。

 俺はごくりと唾をのんだ。

 上半身が裸の来嶋の身体は凄く引き締まっている。

 腹筋も割れているし。

  この人はジムには行かないけど、毎日時間があれば身体を動かしている。

 ストレッチ、ジョギング、ダンベル、腹筋、腕立て伏せ……。

 俺もストレッチはするけど、それ以外はまぁKONで拳法の稽古をしているくらいか。

 お、男の身体なのに……俺、気分が落ち着かない。

  来嶋はその身体を俺の上にのせてきて、耳元で囁くように問いかける。

「もし、俺がお前とそうしたかったから、ラブシーンの練習を多くした……と言ったらどうする?」

「え?」

「実は練習なんかじゃなくて、お前とそうしたかったから、そうしていた……としたら、お前は俺を受け
入れていたのかな?」

 ま……

 待ってくれ!

 何を言っているのか俺には分からない。

 じゃあ、何か?

 今まで練習だと思っていたラブシーンは、実は来嶋が俺にそうしたくてそうしていたってこと?

 俺は思い出す。

 学年一美人だった水端さん。

 ずっと熱い眼差しでこっちを見ていた彼女の眼差しが、演技じゃなくて本当の想いだったことを。

 それじゃあ、来嶋も?

「お前、“魔性”の台本、どこまで読んだ?」

「え?」

 いきなり何を尋ねてくるんだ?この男は。

 今は台本とかそんなんじゃなくて。

「どこまで読んだか聞いているんだ」

さらに強い口調で聞かれて、俺はつり込まれるように答える。

「だ、第一部まで」

「そうか。じゃあ第二部はまだか」

「あ……ああ」

「第二部ではな、四年後。リツキは美しい青年に成長する。しかも恋人であるマユリの生き写しじゃな
いかというぐらいに、その顔はそっくりだった。美男子好きのマサコは、かつて死に追いやった女の顔
などとっくに忘れていて、そんなリツキに心奪われるようになる。学校の教師となったリツキは、まず
は暴行に加わった一人を死に追いやる。その次は、恋人を死に追いやった原因を作った人間、担任
の藤木だ」

「藤木……」

 それは来嶋の役だ。

 藤木はマユリにその思いを告げるが、断られてしまった。

 その藤木に思いを寄せるマサコが取り巻きの男にマユリを襲わせた。

 罪人ではないが、リツキにとっては十分に復讐の対象となりうる相手。

「彼は殺されはしないが、リツキに利用されることになる。男とは思えないリツキの美しさに惑わされ、
藤木はかつての教え子と許されない関係になる」


 かつての教え子と許されない関係に……


 来嶋の手が俺のシャツのボタンをはずしはじめる。

 俺はリツキだ。

 藤木を誘惑する魔性の男。

 意識することもなく、自然と笑みがこぼれる。

 俺は、来嶋と永原さんが共演した舞台、『雨が止む時』に登場する殺し屋、佐賀のことを思い出して
いた。

 彼も又人間離れした容貌を武器に、あらゆる人間を虜にした。

 だけど佐賀とリツキは違う。

 人を惑わすことを、ゲームのように楽しむ佐賀とは異なり、リツキは確乎たる目的の為に、標的を打
ち落とす狩人のように人の心を奪い去る。

 復讐という目的のために。

 しかし目の奥には悲しみも見え隠れする。

 来嶋がわずかに目を見張る。

 小刻みに全身が震えているのが伝わる。

 蜘蛛の俺には手に取るように分かるのだ。

 身も心も捕らわれた哀れな蝶の心境が。

 まるで蜘蛛の糸で操られたかのように、藤木はリツキを押し倒し、その体を貪り始める。

 マユリを殺した女。

 その女が愛した男。

 この男の身も心も奪い付くすことが復讐なのだ。

 もちろんそれだけでは終わらない。

 女の全てを奪い付くし、最後にはその命で購って貰う。

 そのためにはまず、この男を────

 体と体は一体のように重なり、重ねた唇も舌を絡ませ愛撫する。

「あ……せ……せんせい」

 熱くなるリツキの声音に、藤木は耳元で囁く。

「もう君の先生じゃない。名前で呼んでくれ」

「あ……み、みなと」

 藤木の下の名前を知らない俺は。

 思わず来嶋の下の名前を呼んでいた。

 でもまぁ、いいかと思う。

 今の俺はあくまでリツキであり、向こうは藤木だ。

 藤木はリツキのシャツのボタンに手を掛けるが、外すのがもどかしくなったのか、途中でボタンを引
き裂く。

 露わになる肌。

 藤木の唇が首筋をつたい、胸の先端に到達するとそこに舌を這わせる。

 びくりと震えるリツキを追い立てるように、さらにその部分を歯や唇を使い愛撫した。

 やがてすべての服は取り払われる。

 藤木はうっとりと暫くリツキの裸体を見つめていた。

 だがリツキが乞うように潤んだ目をこちらに向けた時、藤木はその体を開いていた。

「あ……みなと……」

 ソファーの褥の中、自分の中に入ってくる藤木。

 食い入るようにこちらをを見つめ、体の奥まで求めようとする男に、リツキはうっすらと笑みを浮かべ
る。

 一つの復讐をやり遂げた達成感共に、リツキの中の快感は絶頂まで達する。

 

 

 


 もう、この男は自分のものだ。








 

 ふと、目を覚ますと朝になっていた。

 胸が重たい。なんか誰かに乗っかられているような…………って、来嶋!?

 来嶋は俺の胸の上に頬をくっつけて、あたかも枕であるかのように眠っている。

 し、しかも裸だし!!

 全裸だよ!

 全裸!

 え!? え!? 

 何?

 どうしてこんなことに……確か、来嶋と飲んでいて、それから恋愛談義みたいなのになっていて。


『お前とそうしたかったから、そうしていた……としたら、お前は俺を受け入れていたのかな?』


 って、あの問いかけは本気なんだろうか?

 それから魔性の台本の練習になっていって、俺はリツキ、来嶋は藤木になって、それからはかなり
濃厚なラブシーンが。

 瞬間。

 俺は全身が火を噴くかのように熱くなった。

 あ、ま、まままままま、待ってくれ。

 俺はあのまんまコトに及んでしまったのか?

 映画の世界を演じる中で、来島とあんなことに。

 たちまち来嶋と肌を合わせたあのぬくもりがリアルに蘇る。

 …………夢じゃない?

 夢じゃないのか!?

 現実だったとしたら、意識しないままに、来嶋に操を捧げてしまったってことになるじゃないか。

 いや……でも、待て。

 確かに来嶋は裸だ。でも、俺は上半身はかなりはだけているけど、下半身はちゃんとジーンズをは
いている。

 とりあえず下半身は無事…………だよな。無事じゃなかったら、多分腰とか腰から下も痛いはずだ
し。

 半分は現実、半分は夢だったということか。

 でも夢だと思われる濃厚なシーンも、嫌にリアルだったような気もするんだよな。

 そ……そんなことよりも、来嶋が重たい!!

 俺は来嶋の両肩を掴みゆさゆさと揺らして起こす。

「いつまで寝ているんだ!?しかも素っ裸で!!風邪引いても知らねーぞ!?」

「あ?」

 来島はまだ現実から戻っていないのか、俺の胸の上に頭を乗せたまま、目が半開き状態だ。

 でも手は俺の背中に回っていて、俺はそのまま抱き枕みたいに抱きしめられていた。 

 はだけたシャツの下、肌と肌が密着している。

 一瞬……来嶋の体はあったかいなと思ってしまった自分は変だろうか。

 男同士肌を重ねて、フツーなら気色悪いとかそんな風に思うはずなのに。

 来嶋とこうしているのは、全く嫌じゃない。

 今は演技をしているわけじゃないのに。

「洋樹」

 寝ぼけ眼のまま、来嶋が俺の名を呼ぶ。

「何?」

 俺が尋ね返すと来嶋はふわりと笑って言った。

「ゆうべは……良かったぞ」

─────

 俺は目を見開いた。

夕べは良かったって……何が良かったんだ?。

 演技が良かったのか?

 それとも……。

 ……。

 ……。

 ……これ以上考えますまい。

 来嶋はまた、俺の胸の上で寝息を立て始めた。

 この人も同じ夢を見たのだろうか。

 いや、それはあり得ねー……じゃあ、あれは現実?……もっとあり得ねー!!

 つーか、また寝てんじゃねーよ!!

 今度は来嶋をたたき起こしてやろうと、手を振り上げたが。

「……」

 その寝顔はなんだか、無防備な子供みたいだ。

 こんな顔もするんだなぁ、この人。

 新たな来嶋の顔を発見できて、少し嬉しくなる。

 え……嬉しい?

 って、恋人みたいじゃないか!?俺。

 ホント、マジ、どうした!?俺。

 内心焦りながらも、来嶋の寝顔をみたら、やっぱり無邪気な寝顔がそこにあって。

……まぁ、いいか。

 と思うのだった。


つづく  


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