呪わしきハムレット2


   



  主人公ハムレットの叔父であり、デンマーク王であるクローディアスは、悪役で名高い鹿島さん、
そしてハムレットの母であるガートルードは、鹿島さんの弟子である梁瀬千鶴(やなせ ちづる)さん。
 千鶴って名前だけどれっきとした男。
  年齢は32歳。
 色白で細面、目も一重で細い切れ長だ。ぱっと見た感じ日本人形のような印象だ。舞台以外は丸
い眼鏡をかけている。
 強面が多い鹿島連合(鹿島の劇団)の中では、珍しく線の細い男前だ。
「思えばハムレット王、死して今だその記憶は生々しい。何人も心を悲しみにゆだね、国中暗い額に
喪を分かち合うのが人情であろう。が、それに負けてはならぬ」
 鹿島さんは、梁瀬さんの細長い手をとる。
 ふわりと微笑むガートルード。
 気高い王妃でありながら、新たな夫に熱い眼差しを向ける一人の女でもある。
 男と分かってはいるのに、どきっとさせられてしまう。
 鹿島さんだけじゃなく、今さんにも相当鍛えられてきたらしく、その演技力は安定した確かなものだ。
「従って、かつては姉、今は妃、この国の主権を共々担うカートルードだが、それを敢えて妻にしたの
も、心中いわば傷ついた喜びを背負う思いであった。片目は喜びに輝き、片目は愁いに沈む。祝福と
哀惜を等しく秤に掛け、葬儀には歓喜の調べを奏で、婚儀には挽歌をうたう。そのような気持ちであ
った。もちろん一同の忠言を却けたおぼえはない。今回の婚儀は皆快く同意してくれた筈───
を言う」
 王の言葉に、重臣一同も深く頭を下げる。
 次ぎに鹿島さん演じるクローディアスは、ノルウェー王子のフォーティンブラスが、ハムレット王の死
を機に、デンマークの領土を我が者にしようと動き出していることを語る。
 肝心なフィーティンブラスの叔父である、ノルウェー王は病床であるが故甥の企みには気づいてい
ない。そこで、ノルウェー王当てにしたためた一書を送り、甥の企みを抑えてもらう依頼を送ることを
述べる。
「さて、レアティーズよ」
 鹿島さんの呼びかけに、俺は立ち上がり敬礼する。
「何か頼みがあるそうだな。筋さえ通ったことならば、何でもかなえてやるぞ。このデンマーク王室と
お前の父親は切っても切れぬ縁があるのだ。何が望みだ、レアティーズ」
「はい、フランスへ戻らせて頂きたいと思います。この戴冠式の為、喜んで帰国はいたしましたが、務
めを果たした今、その思いは再びフランスへと駆られております」
 夢と希望に満ちた若者は、何の曇りもない笑みを浮かべ王に自分の想いを告げる。
 しかし、王はやや複雑な表情で。
「うむ……しかし父親の許しは得たのか?」と問いかける。
王の重臣であり、レアティーズの父であるボローニアスは、ベテラン役者の須藤さんが演じている。こ
の前、湊と永原さんの舞台で共演していた人なので、俺もよく知っているんだけど、今さんが子役の
頃からの付き合いで、予定さえ合えばKONの舞台に出てくれるらしい。鹿島さんより一つ上の先輩ら
しいけど、いい飲み仲間だとか。
「それがうるそうて、うるそうて。渋る父親の心情など察しもせず、その強情さに折れて承知の判を押
した次第でございます。このうえは、父親からもお願い申し上げます。なにとぞいとまをおやりください
ますよう」
「うむ、いいだろう。気ままに遊んでこい、レアティーズ。フランスへ戻り青春を謳歌するがいい……と
ころで、ハムレット。甥でもあるが、今は我が子」
 クローディアスの声に、ハムレット演じる高崎は、ふいっと横を向く。
『ただの親戚でもないが、肉親扱いはまっぴらだな』
 クローディアスには聞こえぬよう呟くように言う。
「どうしたのだ?まだ額の暗雲は晴れぬようだが?」
「そのようなことはございますまい。眩しすぎる日光の押し売りに辟易していたところですよ」
 高崎が皮肉っぽい笑みをうかべる。
 へぇ……そういう顔も出来るんだな。
 いや、感心している場合じゃない。
 そこに前へ出てきたのはハムレットの母、ガートルード。
 梁瀬さんは人形のような顔立ちの上、人形のように無口な人で、俺は今回初めてこの人の声を聞く
ことになる。
「ハムレット、その暗い喪服を脱ぎ捨てて、デンマーク王に親愛の眼差しを……まだ父上を慕うお前
の気持ちはよく分かります。けれども、いつまでふさいでいても始まりませんよ。生ある者は必ず死
ぬ、そしてあの世で永遠の命を授かる、それが世の常というものではありませんか」
 ほぅ……っと、周囲からため息が洩れる。
 透き通るような声、というのだろうか。女性程高い声ではない。かといえば、男性のような低い声で
もない中性的な声だ。
「そう、世の常に違いありません」
 虚脱感あらわに、だらりとした状態で椅子に腰掛け、虚ろな眼差しをガートルードに向けるハムレッ
ト、もとい高崎。
 やっぱり上手いな。
 ……ただ、現在の虚ろな目が、今さんの恐怖という現実から逃げているようにも見えるのだが。
「それならば、何故あなたには世の常とは見えないのですか?」
「見えない……見えようが見えまいが、そのようなことこちらの知ったことではない。この漆黒の上
着、しきたり通り最もらしい喪服、そらぞらしいため息、あふれるほどの涙の泉、しめっぽい憂い顔、そ
の他ありとあらゆる形や表情も、この心の底の真実を表してはおりませぬ。なるほど、そういうものな
らば、目に見え───
 そこで、台詞が止まった。
 今さんの木刀が、高崎の頭と肩の間をすり抜け、壁に当たったからだ。
 ……うん、一応台詞が最後まで終わるまで待つつもりだったのかもしれないけど、どうしても我慢な
らなかったのだろう。
  高崎の顔が、恐怖に引きつった。
「てめぇ、台詞を言う間、目が泳ぎすぎだ!!とにかく落ち着け」
「……今さん、そんな恫喝したら、落ち着くものもおちつかないんじゃ」
 出番待ちの工藤さんに横から言われ、今さんは舌打ちをする。
「じゃあ、落ち着くまで台本でも読んでろ。鹿島のおっさん、それから梁瀬。こいつと台詞合わせして
やれ。先に浅羽と工藤、お前らのシーンからだ」
「……」
 俺はちらりと高崎の方を見る。
 よろよろとした足取りで、稽古場の壁際においてある椅子に腰掛ける高崎。
 額にはじっとり、汗がにじみ出ていた。
 そんな高崎の肩を叩き、隣に腰掛けるのは梁瀬さん。
 結構優しい人なんだな……と思いきや。
「まだまだ、地獄は始まったばかりだよ」
 そう言ってにやりと笑った……どSだ。
「そんなこと言わないでくださいよぉぉ〜」
「ごめんごめん」
 多分初対面であろう梁瀬さんに抱きつき、泣きすがる高崎。
 そんな彼を梁瀬さん、犬のようによしよしと頭を撫でる。
 顔は意地悪そうな笑み浮かべているんだけど───絶対この人だけは敵に回さないようにしよう。
「浅羽君、行こう」
 工藤さんに促され、俺は稽古場の中心へ。
 良い感じの緊張感。
 1秒でも早く演じたい、高揚感。
 ハムレットって学生の時、演じられずに終わっていた演目だったし。
 主役じゃないにしろ、この恵まれた役者陣の中シェイクスピアの世界を演じることができるのは、凄く
幸せだ。
 向かい合うは既に少女のような愛らしさを演じている工藤さん……つうか、マジで可愛い。
 俺はそっと工藤さんの頬に触れ、にこりと笑いかけた。
「もう必要な荷物は積み込んだ。では行くよ、オフィーリア。順風で船の都合さえ良ければ。怠けては
いけないよ?」
「怠けるとお思いになって?」
くすりと工藤さんは笑みをこぼし、こちらの顔をのぞき込む。
その声は、いつもの工藤さんの声よりも高いトーンだ。本物の女性のようにはいかないけれども、耳
に心地よい愛らしい声。
「ハムレット様のことだが、その気持ちは一時の浮気、若さ故の気まぐれと思っておけば間違いない。
早咲きのスミレのようなもの……」
 兄、レアティーズの言葉に、オフィーリアはびくりと肩を震わせる。
 そして不安に顔を曇らせながらも
「それだけかしら?」
「……もう考えない方がいい。なるほど、ハムレット様はお前を愛しておられるかもしれぬ。その心は
純粋そのもの、お心の内は一点の偽りもないだろう。だが、あの方がデンマーク国民の同意を得なけ
れば何も出来ぬ特別な地位であることを忘れてはならないよ。おお妃選びとてそう。だからお前も分
をわきまえて───
「分かりましたわ、お兄様。けれども、そう仰るご自分こそいい気なもの。手に負えぬ道楽者同然、戯
れ心にあちこち花咲く小道で現をぬかしておいでになって」
「余計な心配だよ」
 俺が苦笑しかけた時、父、ポローニアスが入ってくる。
 そこでレアティーズは、自分が妹に説教垂れていた以上に、父親にこってりと説教されるのであっ
た。
 そんな父親に辟易しながらも、俺は笑みを浮かべ。
「では本当に行って参ります」
「もう時間がない、行け。共の者を待たせるな」
 ぶっきらぼうに行ってふいっそっぽ向く父親。その横顔はどことなく寂しそうだ。
「では行ってくるよ、オフィーリア。いいか、さっき言ったこと忘れるんじゃないよ」
「はい、この胸の内、しっかり錠を掛けて鍵はそちらに預けておきます」
 俺と工藤さんはそこで抱き合った。
 ───背中に、凄く痛い視線を感じるんだけどな。
 多分、倬弥だ。
 あいつ、工藤さんのこと好きだからなぁ。
 それが露骨に態度に出るから、KONのメンバーにもバレバレだしな。
 俺はその後舞台から退場し、あとはオフィーリアとボローニアスのやりとりのシーン。
 父は兄よりも厳しく、娘にハムレット様とは関わらぬよう忠告するのであった。
 なんだかまだまだ演じ足りないな。
 稽古場の隅にあるポカリを飲んで一息つく俺に、倬弥がこちらに歩み寄ってくる。
 口元はへの字に曲がっていた。
「おい、洋樹。お前工藤さんに抱きつきすぎだろ?」
「そうか?」
「そうだよ。兄と妹だから、もっとドライな抱擁で俺いいと思うよ」
「十分ドライだったと思うけどなぁ。恋人だったら、あんなんじゃ済まないだろ」
「当たり前だ。あれ以上の抱擁しやがったら、お前に毒剣向けるぞ」
 脅し口調だけど、倬弥もまたポカリを一口飲んで、息をつく……こいつは急に役を替えられて、今台
詞を覚えなきゃいけないから、ただでさえイライラしているし、緊張もしてんだろうな。
そこに、一人の青年が歩み寄ってくる。
あ、晴沢ヒロシだ。
彼はやや紅潮した顔で俺の方をじっと見て。
「あんた、名前は?」
と聞いてきた。
「え……浅羽洋樹だけど」
「え!?じゃ、じゃああんたが永原さんの弟子の?」
「ああ、そうだけど」
「レンから話は聞いているよ。そっか、あいつがあんたのこと気に入るわけだ」
「……」
 まぁ、確かに、高崎には懐かれているよな、俺。
 晴沢は何故か俺の顔をじぃっと見つめながら。
「出番が来るまでセリフあわせお願いできないかな。ハムレットとレアティーズのやりとりは少し先に
なるけど」
「ああ、いいよ」
 願ってもない晴沢の申し出に、俺は二つ返事でOKした。
「じゃ、俺台本とってくる!」
 そう言って張り切った口調で、ベンチの上に置いてある台本を取りに行く晴沢の後ろ姿を見て、倬
弥がにやりと笑う。
───晴沢の奴、お前に惚れたんじゃないのか?」
「俺が永原さんの弟子だから気になるだけだろ?」
「いや、さっきの会話からして、はじめからお前が永原映の弟子だという認識はなかったな。お前に気
があると見たね」
「男相手に冗談じゃない」
「お前の恋人、男じゃないか」
「あいつ以外の男は嫌なの」
「惚気るなよ」
「惚気じゃなくて、事実だから」
 そう。
 俺だって、今までずうっと女と付き合ってきたんだ。出会ったのが湊じゃなきゃ、男と付き合うなんて
こと、あり得ない事態なんだ。
 ただ、そんな俺の意志に反して、最近男にも言い寄られることが多くなった。
 その気がある映画監督に、誘われたこともあったし、ホモで有名なプロデューサーからもしょっちゅう
飲みに誘われる。
 あと高崎や晴沢と同じ、J-プリンスの先輩、現在ではトップスターである久留米早紀人からも、何度
かお誘いがあった。あの人がホモだったとは知らなかったけど。通りで女の噂が皆無だと思ったんだ
よな。
 いずれも断ったり、たまたま傍にいた湯間さんに助け船をだしてもらったり、紺野さんに盾になっても
らったり、俺自身もそれとなく角が立たないように、断ったりしているけれども。
 それもこれも、あいつに抱かれて以来だ。
 いや、もちろん、湊とそういう関係になる以前も言い寄ってくる奴がいたけれども、あいつに抱かれ
てからは、さらにろこつに言い寄る奴が増えてきた。
「ま、確かにお前最近色っぽいからな」
「悪い冗談やめて欲しいんですけど」
 湊のことを思い出しているのを見透かされた気分になり、俺は一瞬顔が熱くなった。
 ほんの一瞬だけどな。
「一応褒めているつもりなんだけどな。正直、工藤さんがいなきゃ俺だって、お前のこといいって思う
もんなぁ」
「…………お前、俺に揺さぶりかけるつもりか?」
 軽く睨むと、倬弥は軽く舌をだす。
「あ、わかった?」
「お前には絶対に負けないからな」
「それはこっちの台詞だ。お前ばっか、工藤さんに良いとこみさせやしねぇよ」
 工藤さんじゃなくて、まず観客だろ?
 まぁ、それだけあの人のことが好きなんだろう。
 俺に気があるなんてこと、一片たりともない。
 そこに晴沢が駆け寄ってきて。
「じゃ、やろうっか」
 にこやかに台本を持ってくるその顔は、俺への好意というよりも、単純に演技が出来る喜びで、テン
ション高めなだけなんじゃないかと思うが。
 俺も演技が出来る嬉しさって、よくわかるからな。
 晴沢にはなんとなく親近感が持てる。
「ああ、よろしく。ハムレット」
 俺は役名で晴沢のことをそう呼んで、頷いた。



 

つづく            











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呪わしきハムレット3

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