笑う舞台4





 エンタの思い。 それを知る為に、俺は今福岡にいた。
 湯間さんと谷澤さんの故郷であるK市。近年、ベッドタウンとして都市化し新しいマンションや住宅街
が目立っている。
 だけど湯間さんや谷澤さんが住んでいる町は、比較的古くからあるのか、瓦の軒並みが多く見られ
た。
 その町の一角に、谷澤医院はあった。
 住所は密かに、湯間さんのマネージャーから入手したんだよね。
 クリーム色の壁に、オレンジ色の屋根。入り口の自動ドアには医者の格好をしたクマと、看護婦の
格好をしたウサギの絵が描いてあって、何だか子供が喜びそうだ。雰囲気の通り内科 小児科と書
いてあって、今日も患者さんが多いのだろう。もう六時になるのに駐車場は満杯だった。
「どうかしましたか?今ならまだ診察時間に間に合いますよ〜」
不意に後ろから ほわん、とした声を掛けられて、俺はびくっとした。
 振り返ると、16、7歳ぐらいだろうか?高校生くらいの女の子が立っていた。
 ふわふわの栗毛のミディアムショートの髪、くりっとした大きな目が可愛いらしく、全体的にほんわか
した雰囲気の女の子……あれ?でも初めて見る顔じゃないよーな。
 どっかでみたことあるぞ。
 どっかで。
「あの、どうかしましたか?」
 小首を傾げる女の子に、俺は我に返り首を横に振る。
「いや、何でも」
「小児科って書いてますけど、大人の人も診ますよ」
「あ……いや、俺は患者ってわけじゃ」
「え?」
 目をぱちくりさせる女の子に、俺は一度咳払いをしてから彼女に尋ねた。
「ここは、谷澤円太さんのご実家ですよね?」
「そうですけど……あなた、兄の知り合いですか?」
 兄!?
 あ……、そうか。それで見たことある顔だと思ったんだ。
 円太を女の子にしたら、彼女そのものだ。
 へぇ、こんな可愛い妹がいたんだな。よく見たら美少女〜。
 いやいや、そうじゃなくて。
「知り合いというわけじゃないんですけど、実は───
「あ!!あなた、もしかして浅羽洋樹さん!?」
 はい!?
 ちょ……ちょっと待て。
 何でこの娘が俺の名前を??
 ひょっとして湯間さんから俺のこと聞いていたのかな?
「そうですけど……もしかして湯間さんから俺のことを」
「違いますよぉ。私、伊東成海の大ファンで、劇団KONの舞台は絶対チェックしているんです」
 な、何と!?
 そ、そうか。今さんのファンなんだ。
 それで今さんの劇団で演じさせて貰っている俺のことも知っているんだ。
「この前の大阪公演見ました!私、あなたの信長に惚れて、三回ある大阪公演のウチ三會とも見に
行ったんですよ!!」
 声を弾ませる女の子に、俺は何だかくすぐったい気持ちになる。
 こんな遠くの町で俺の演技を見てくれた人に出会えるなんて。
「あ、申し遅れました。私は谷澤医院副院長の谷澤輪香(やざわ りんか)です」
 ぺこりとお辞儀する女の子に俺は目が点になった。
 女の子……じゃなくて女性というべきなのであろう。
 副院長ということは、ここで医者として働いているわけで。
 医者ということは、少なくとも大学は卒業しているわけだから、俺よりも年上ってことになる。 
 いや、でもどっから見ても高校生……そういや、円太も湯間さんと同い年にしては、かなりの童顔だ
ったよな。
「あ……ありがとうございます。三回も公演に来て下さるなんて」
「もう、何度でも観に行きますよ〜……浅羽さん今後、KONの舞台に出る予定はあるんですか?」
「次の次の舞台、ハムレットには出ます。あとは他の舞台でのエキストラや、ドラマの端役なんかやら
せて貰ってます。それに───
 俺はじっと輪香さんの顔を見つめる。
 こうしてみると本当に谷澤さんそっくりだ。
「それに?」
 彼女はにこっと笑って、此方の顔をのぞき込む。
 そんな風に優しい笑顔で子供の患者さんに接したりするんだろうな。
「それに、今度は谷澤円太さんを演じることに」
 俺の言葉に、彼女の目が僅かに見開かれた。
「浅羽さんが兄を?」
「はい。湯間さんと共に今度、漫才王グランプリに出ることになっているんです」
「浅羽さんが計ちゃんと───
 驚きが隠せない輪香さん。
 暫く考えるように俯いてから、彼女はじっと俺の目を見て言った。
「兄を演じるのは並大抵のことではありませんよ?」
「分かっています」
 俺は深く頷いた。
 すると彼女はにっこりと笑って、空を見上げた。
「母は反対していたんですけど、私、兄の漫才好きだったんですよ。子供の頃、落ち込んでいる私を
見かけたら、必ず面白いこと言ってくれて」
 その眼差しは天国にいる兄を見つめているかのように思えた。
 そっか。
 妹さんは応援していたんだなぁ。谷澤さんのこと。
「でも、母はどうしても兄に医者になって欲しかったんです。私たち双子の兄妹なんですけど、実は父
親のこと知らなくて……母は女手一つで育ててきましたから、よけい私たちに対する思い入れが強く
て。私はまぁ、医者になったんですけど兄は───この前も兄に漫才辞めて医大へ行くよう説得する
って言って、東京へ行ったんです」
「え……」
 俺はわずかに目を見開いた。
 そういえば、谷澤さんが事故に遭った時、谷澤さんのお母さんが傍らにいて。
 あの時は、息子の訃報を聞きつけて駆けつけたとばかり思っていたけれども、福岡から東京まで小
一時間で行けるわけがない。
 
『だって俺、あいつに家で待ってろって───

 面白いネタが出来たと喜んでいた谷澤さん。
 いてもたってもいられなくて、湯間さんが出演するドラマの現場まで行くとまで言っていたのに対し
湯間さんは苦笑して、落ち着いて家で待っていろと窘めたのに。
 谷澤さんは何故か外に出てしまった。                              
 その為、交通事故に巻き込まれて帰らぬ人に。
 何故、家で待っていろと言われていた谷澤さんが外に出たのか?
 俺は谷澤病院の方を見た。
 今だ患者を診ているのであろう。
 診察室の窓は明るい。
 俺は輪香さんに言った。
「お母さんに、会うことできるかな」


 院内はピアノの曲が流れていた……確かショパンのノクターン。
 この曲は落ち着く、と言って俺の母親も良く聞いていたのを思い出す。
 母さん元気にしてるかな。
 俺も役者になるの反対されていたもんなぁ。
 俺と谷澤さんは似てるんだな。
 母親のために医者を目指していた。
 でもやっぱり夢を諦めることができなくて。
 それが彼女を悲しませると分かっていても、夢に向かって歩き始めた。
 だからこそ。
 俺は谷澤さんの母親に伝えたいことがある───

  8時近くになると、もう患者さんの姿もなく、スタッフの人も片付けを始めているようだった。
  待合室の椅子に座っていた俺は、近づいてくる足音に気づいて立ち上がった。
 彼女の会うのは二度目だけれども、ああ……やっぱり綺麗な人だなぁ。
   多分年齢は谷澤さんのお母さんだから、学生結婚したとしても四十後半にはなっているのだろう
けど、一回りぐらい下に見えるなぁ。
 それに───
「娘から話は聞いたわ。浅羽洋樹さん」
 最初に出会った時は、頑なな……無表情に近い感じで近寄りがたかったけれども。
 今はどこか柔らかな笑みを浮かべている。
 うん、普段は優しい先生なんだろうな。
「お母さん」
「私はあなたの母親じゃないわよ」
「あ……すいません。何となく、ウチの母親に似てたもので」
「私があなたのお母さんに?」
 少し笑って首を傾げる。
 座るよう俺に促してから、自分も椅子に腰掛けた。
 そしてお茶を出す代わりに、院内の自販機で買ったのであろうほうじ茶のペットボトルを渡してくれ
た。
「あ、ありがとうございます」
 正直喉が渇いていたので、俺は遠慮無く受け取って早速それを一口飲む。
 彼女はクスリと笑って言った。
「つかぬことを聞くけど、あなたのお父様の名前は?」
「え……浅羽……浅羽洋之(ひろゆき)ですけど」
 すると彼女は僅かに目を見開いてから、一つ息をついて言った。
「そう。じゃあ、あなたなのね。役者になった一人息子って」
「え……、あの……もしかして父と知り合い?」
「ええ、大学時代の私はあなたのお父さんからすれば、大学時代の先輩になるわね。今でも何かと
相談されることが多いのよ」
 うわぁ、世間って意外と狭っ。
 娘さんは娘さんで、俺が出演した舞台を見ていたって言うし。
「よく相談されたわ、あなたのこと……」
「……っ!」
 そうだ。
 この人は円太の母親。
 彼女もまた息子に医者を継いで貰いたかったのだろう。だけど、それは叶わなかった。
 同じような境遇の先輩に、父が相談を持ちかけたのも頷ける。
「私、彼に言ったわ。役者になることがその子の本当の夢なら、それを引き留めて医者にさせるのは
至難の業だって」
 そして彼女は一息ついて、俺の方を見ていった。
「現に、私は息子を引き留めることが出来なかった───
「……」
「浅羽君も結局息子を引き留めることは出来なかった……電話でその報告を聞いたとき、私は今一
度……最後にもう一度だけ息子を説得しようと思って東京に出たのよ」
 ……ああ。
 やっぱり、この人は東京に来ていたんだ。
「私は息子を喫茶店に呼び出したわ。このまま芸人をやっても、売れる可能性は低い。今一度医者を
目指してみない?って言ったわ。そうしたら、あの子嬉しそうに笑って言ったの。『一生、売れなくても
構わない。自分の漫才を見て一人でも笑ってくれる人がいたら、自分はその人のために漫才をやり
続けたい』って」
 彼女は目を右手で覆い、笑みを浮かべながら言った。
 ああ……
 俺もきっと母親が説得しにきたら、同じコト言っていたかもしれないな。
 一生売れなくてもかまわない。
 あの舞台の上で演じることができるなら、もうそれだけで俺は幸せだから。
「そこまで言われたら、もう叶わないって思ったわ。私もこれで踏ん切りがついたって、言ったわ。あ
の子はありがとうって。今度、漫才王グランプリに出るから会場に見に来て欲しいって……子供の頃
私とよく見ていた戦隊ものの漫才をやるからって。お母さんなら絶対笑うから見て欲しいって」
 その時、彼女の頬に涙が伝った。
 俺は、黙ってその姿を見守ることしかできなかった。
 
「その帰りに……あの子は死んだの」

 湯間さんは、あの時谷澤さんに家で待ってろ、と言っていた。
 だけど谷澤さんは家で待つことはなかった。
 お母さんに呼び出されたからだ。
 だから谷澤さんは───

「浅羽君、湯間君にごめんねって伝えて欲しいの。あの時は、自分のせいで息子を失った現実を認め
たくなかったから……あの子の所為にしようとしていた自分がいたの。本当にずるいわよね」
「大丈夫ですよ。湯間さんも、きっと分かってますよ。お母さん、俺、今度湯間さんと漫才王グランプリ
に出ますから、是非見に来てください」
「浅羽君……」
 俺は席を立ち、部屋の片隅にある本棚へ歩み寄る。
 そこには電車戦隊トレインマンと書かれた絵本が。
 他にも特撮関係の絵本が多く置かれていて、彼女自身特撮が好きであることが伺えた。
 俺は一番伝えたかったことを、谷澤さんのお母さんに伝える。
「谷澤さんはきっと誰よりもお母さんに笑って欲しかったんだと思いますよ」


 その日、俺はチェックインしていた、市内にある安ホテルに戻ると、風呂も入らぬままベッドの上に横
になりそのまま眠りについた。
 そして気がつくと───
 俺は高校の制服を着ていて。
 しかも塾なのであろう。三階建ての建物にはナントカ塾と書かれた看板があって、なんだか暗い顔
をした生徒に混じって自分もその中に入っていくのだった。
『このままじゃ、東京大学どころか、早稲田や慶応も無理だよ』
 ……え?
 それ、俺に対して言ってるわけ?
 担任の土田先生は、東大も夢じゃないって言ってくれたけど。
 塾の先生もこの調子でがんばれって───塾の講師の名前なんつったけ?
 あれれ?
 そもそも、俺が行っていた塾はもっと明るい感じだったけどな。
『大体、君、本当にやる気があるの?東大の医学部って、どれだけ狭い門か分かっているわけ』
 嫌味な奴───
 何、このおっさん。
 何だかふんぞり返って、人をゴミみたいな目で見て。
 が、一人の生徒が教室の前を通りかかり、そのおっさんの顔はぱっと一変しする。
『おーい、松木くーん。この前のテスト好かったよ。その調子でいけば東大間違いナッシング!!』 
 茶目っ気たっぷり、親指を立てて片目を閉じる。
 ああ……塾の功績を上げてくれそうな生徒には媚びを売るタイプか、コイツ。
 で、駄目そうな奴は自分のウサを晴らさんばかりに、嫌味を言ったり、馬鹿にした目で見たり。うん、
うん。それで生徒の反骨精神を育てるんだって自分自身には言い訳するんだよね。
 実際、それで、なにくそと思い、頑張る生徒もいるんだろうけど。
 俺は席を立って、そのおっさんに向かってにっこり笑って言ってやった。
『先生、先ほど俺に聞きましたよね?やる気があるか、ないか』
『ん?、何だね。それがどうしたのかね』
『俺、全くやる気がないんです』
『な……』
『俺、褒められて伸びるタイプなんで。それじゃあ』
 そう言って俺は席を立って、教室を出て行った。
『ま、待て!お前、これからどうするつもりだ』
『え?塾をやめようかと』
『これからここを辞めて見ろ!東大どころか、大学すら行けなくなるぞ』
 少子化社会の不況故、塾の生徒数も減少している現代、生徒に辞められることは避けたい講師
は、そんな見え見えの脅し文句を言って引き留めようとする。
『大丈夫です、先生。俺、大学行くの辞めることにしましたから』
『は!?』
 目と口を丸くする講師に背を向けて、俺は塾を後にした。
 うーん、気分爽快。
 塾の入り口の前には、一人の少年が待っていた。
 湯間計太。
 高校時代からの親友。
 彼は先だって走りながら言った。
『行くぞ、東京に』
『うん』
 俺は嬉しそうに頷いて、その後を追いかける。
『住む場所はもう決めてあるんだ。そこでバイトしなが暫く頑張ろうぜ』
『俺、早く漫才やりたいなぁ』
 これから何が起きるのか、どきどきしながら俺はそいつに言う。
『だよな。俺、考えたんだけどさ。今度住むアパートの近くに公園があるんだ。そこでストリートライブ
やらね?』
『すとりーとらいぶ?』
『路上で漫才やるんだよ。通行人がお客さん。漫才の稽古にもなるしさ』
『うん、やるやる!!』
 計太と居るときは楽しくて仕方がなかった。
 勉強、勉強ばっかりで先が見えなかった俺の楽しみは、ノートに自分の漫才を書くのが唯一の楽し
みで。
 いつかコレを見て誰かが笑ってくれたらなぁ……っと思った時、最初にノートを見て笑ってくれたの
が、湯間計太だった。
 そしてノート中だけだった世界を現実にしてくれたのも計太。
 あいつと一緒に漫才をやっている時が一番楽しくて。
 一番幸せで。
 ああ、このお笑いの世界でずっと生きていきたいと思うようになった。
 母さんのために医者になろうと一度は思ったけど。
 ───でも、やっぱ駄目だった。
 だって俺は人を笑わすことにとても快感を覚えてしまった。
 計太と文化祭の舞台に立って、全校生徒を笑わした時、何とも言えない満たされた気分になって。
 ああ、あの舞台の上が俺の生きる場所で。
 それでもって、俺が一番輝ける場所だと確信したから。
 俺は計太と一緒に、ずっと漫才をやりたい!

 ふと気がつくと、朝になっていた。
 そこは見慣れないホテルのベッドの上で。
 俺はしばらくぼーっと白一色の天井を見つめていた。
(あ……、俺、夢見てたのか)
 今頃になって、夢を見ていたことに気づく。
 自分が谷澤円太になっていて。
 塾を辞めて、湯間さんと一緒に東京へ出て。
 あの状況は、どことなく湊が俺を演劇の世界へ連れ出してくれた時とよく似ていた。
 そうなんだ。
 円太と俺はよく似ている。
 だから断言できるのだ。
 円太は計太と漫才ができて凄く幸せだった。
 たとえ売れなくても、一生計太と漫才をやりたい。
 それは、俺自身も同じだ。
 どんな小さな舞台でも、そこで演じられるのなら俺は一生役者をやりたい。
 この手が、足が、口が。身体の……細胞の隅々まで演じることに精力を注ぎたい。
 だから、俺はこれからも演じ続ける。
 そこがどんな舞台であろうと───



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笑う舞台5

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