決戦前夜




『村岡鬼刃』の初回公演は盛大な拍手に包まれ、幕を閉じた。

さすがに今さんが作り上げた舞台は熱い。

役者たちの躍動感もさることながら。

会場全体も熱気に包まれていて。

舞台と客席が一体になった、いい舞台だった。

洋樹が戻ってきたのは、二時過ぎぐらいになるのか。

 ふらふらとまっすぐに自分の寝室へ向かい、服も脱がずにベッドに倒れ込んだ。

 俺の時とまったく一緒だな。

 こいつはこいつなりに、重圧を感じていたのだろう。

 学校演劇とは違う、プロの演劇の舞台。

 しかも短期間の稽古でそれに挑まなければならなかったのだ。

 寝る間も惜しんだハードな稽古が連日のように続いていたし。

 その成果を今日出し切ったのだろうから。

 けれども、これからだ。

 公演は連日続く。まぁ、だんだん舞台の雰囲気や状況にも慣れてくるから今日ほどの疲れは感じな
くもなるだろうが。

 俺は洋樹に毛布を掛け、指先でその頬を撫でた。

 こいつが演じた信長、大したものだったな。

 あっという間に観客を引き付けた。

 会場の中でも「あの子は誰なんだ!?」と、騒然としていたぐらいだ。

 一部マスコミもずいぶんとこいつのことを探していたみたいだし。

 永原映みたいになりたい……そう言っていたが。

 もしかすると、もしかするかもしれない。

 

 俺はふと、静麻監督の言葉を思い出す。



『僕の映画に出て貰う以上、覚悟してね』




それは、三日前のことになる───


 背景は白一色。

 小道具は椅子一つ。

 シンプルなシャツとジーンズ。

 飾るものは一つもない。

 ただ己の身体一つ。

 自分自身をいかに際立たせるかが重要だ。

 カメラマンの声一つで自然な笑顔も浮かべれば、挑発的な笑みも浮かべる。

 あるいは憂いの表情や軽く睨んだ表情。

 写真撮影とはまさに静止の演技だ。


「はーいっ!、お疲れ様さん。相模君」


 カメラマンの声と同時に、その場もほっとした空気に。

 こういった雰囲気というのは舞台も、写真スタジオも同じだ。

 今回は演劇雑誌に載せる写真とか言っていたな。

 ふとスタジオの隅、強烈な視線を感じて俺はそちらの方へ顔を向けた。

────

 薄暗いスタジオの隅っこ、佇むその人物は果たして人間なのか?

 映画アダムス=ファミリー※に出てきそうな……顔を覆うほどストレートに伸びた前髪の隙間からぎ
らりと光る目が二つ。※The Addams Family 1991年公開 米映画

 そいつは明らかに俺の方を見ていたのだ。

 しかも目が合った瞬間。

 おいで、おいでと手招きをしてくる。

 ……見なかったことにしよう。

 と思うには、ばっちり目が合ってしまったから、そうもいかない。

 俺は恐る恐る、その人に歩み寄る。

「やぁ、君が拓ちゃんの弟子の相模君だね」

「は……はい」

 拓ちゃん……というのは、俺の師匠である織辺拓彦のことをさすのだろう。

 師匠をちゃん付けするこの妖怪、一体。

 髪の毛の下大きな目が上から下まで俺を見る。

 痛いほど視線を感じた。

「いいね……うん……いい」

 納得したように頷いている。

 一体何なんだ?

「君、元々先生やってたってホント?」

 う……何で妖怪がそんなことを知っている?

「え、ええ。高校教師で英語を教えていました」

「高校の先生!?ますますいいね!!」

 髪の毛の下の目がさらにぎらぎら輝いた。

「あ、あの……あなたは?」

「あ、ごめーん。まだ名乗ってなかったね。僕は静麻優斗(しずま ゆうと)」

「!」

 静麻優斗……って、あの静麻監督のことか!?

 その人が何でここに?

 日本に帰ってきたとは聞いていたけど。

「実はここに来たのは他でもないの。君にね、映画に出てもらいたいんだ」

「え……映画ですか」

「うん。映画。あ、ここじゃなんだから、向かいの飲み物屋にでも行こっか」

「……」

この人、初対面の人間とでも手を繋ぐのか?

俺は静麻監督に手を引っ張られながら、向かいのスターバックスに連行された。



 ソファーのボックス席に腰をかけた静麻監督に促され、俺はその向かいに座った。

「あれ?ウェイターの人がいない」

 キョロキョロ首を回す静麻監督。

 ……ひょっとして、この手の店に入るのは初めてなのか?

 スタバを飲み物屋と言っていた時点で、ちょっとアヤシイとは思っていたが。

「ここはセルフサービスなんですよ。何が飲みたいですか?」

 俺は席を立って静麻監督に尋ねる。

「じゃ、コーヒーで」

 ……ここは、コーヒー専門店なんですけど。

「普通のコーヒーでいいんですね?」

「何、普通じゃないコーヒーが置いてあるの!?」

 ───そんなにでかい声で言うな。

 当然ながら、周囲から笑い声が。

 一緒にいるとちょっと恥ずかしい人だな、この監督。

 そういや、前、永原さんも言ってたっけ?この人といると疲れることがあるって。

「俺の言い方が悪かったですね。コーヒーでもいろんな種類があるんです。エスプレッソ、カプチーノと
か」

「よくわからないから、君のいう普通のコーヒーでいいよ」

「……わかりました」

 俺は立ち上がって、レジへ向かいコーヒーとエスプレッソを頼んだ。

 静麻監督は、その間頬杖をついて窓のほうを見ている。

 ……見れば見るほど妖怪だな。

と思ってはいけない。

 俺がコーヒーとエスプレッソを持って席へ戻ると。

 静麻監督、俺のエスプレッソを凝視する。

 髪の毛の下、二つの眼を光らせて。

「……君の方がなんかおいしそうだね」

「……」

 その熱視線に負けて、俺は黙って自分のカップと静麻監督の紙コップを交換した。

 すると前髪の下、満面の笑みを浮かべて、彼は言った。

「ありがとう。君っていい人だね」

 ん?

 髪の毛でほとんど顔が覆われているから、気付かなかったけれども、髪の毛の隙間から垣間見た
その笑顔、なんだか魅力的だ。

 そういえば、テレビに出ていた時もひげ面だったけど、結構男前だったな。

 静麻監督は、ソファーに置いてあるショルダーバックから、一冊の真新しい台本を取り出した。

 表紙に書かれたタイトルは。


「魔性」


その二文字を見た瞬間ぞくりとした。

何だろう?

この気持ち。

台本をめくる手が重い。

「この作品はね、新進気鋭の作家、遠田直人の異色作なんだ」

「え……、あいつの作品なんですか?」

「ん?君、遠田君のこと、知ってるの?」

「俺が教えていた学校で生徒会長やっていましたからね、そいつ」

「え!?そうだったんだ。ふーん、すごいねぇ。君たちの高校って。物語の原作者も、出演する二人の
俳優も同じ高校って」

「二人の俳優って……あ、そういえば、あなたは洋樹のことを探して」

「そう」

「じゃあ、洋樹もこの映画に」

「うん、主人公のリツキをやってもらう」

───」

 俺と、洋樹が共演。

 いつかそうなれば、と願っていたことではあったけど、それがこうも早く現実という形で飛び込んでく
るとは。

 しかも、若き鬼才と謳われている監督の元で。

「君にはリツキの担任役、藤木の役をやってほしいの」

 主人公の担任。

 元教師としては適役だ。

「この藤木はね、なかなかしんどい役なんだ」

「しんどい?」

「うん、でも君にしかできない役だと思ってるの」

───」 

 静麻監督の言葉に、俺は目を瞠った。

 前髪の下、鋭い眼がこちらを見据えている。

「俺が元教師だからですか?」

「それもある」

「じゃあ、他にも理由があるんですか?」

「うん、僕の勘

「………………………… 」

 静麻監督はエスプレッソを一口飲んだ。

 瞬間、眉間に皺を寄せる。

「……う、苦い。美味しそうだと思ったのに。騙された」

 誰も騙してなんかいない。

 今度からこの監督にはカプチーノを与えとくことにしよう。

 藤木という役がどういう役なのかはよく分からないが、この監督直々のオファー。

 断る理由なんか何一つない。

「わかりました、ぜひやらせてください」

「ほんと!?」

「はい。監督との仕事、とても楽しみにしています」

「やった!」

 静麻監督は、まるで子供みたいに喜んで、両手でガッツポーズをした。

 そしていそいそと砂糖と大量のミルクを持ってきて、エスプレッソの中にがーっと入れてかき混ぜ棒
でぐるぐると混ぜる。

 さらに水も足してから、ごくごくと飲料水のようにエスプレッソだったものを飲み干した。

そして、彼は紙コップを置いて、ふっと息をつくと、俺の顔を覗き込む。

顔から後頭部まで、穴があくほど見つめるもんだから、視線のやり場に困った。

「相模くん」

「はい」

「君、いい目をしてるね」

「ありがとうございます」

「君なら大丈夫だと僕は思っている」

「……?」

 何が言いたいんだろうか?

 戸惑う俺に対し、いつの間にかその眼はとても真剣なそれに変わっていた。

「だからね」

静麻監督は不意に、低い声で俺に告げた。




「僕の映画に出て貰う以上、覚悟してね」



 

 あの人が、何を言いたかったのか。

 今ならよく分かるような気がする。

 洋樹の髪に触れる。

 さらっとした癖のない髪はさわり心地が良い。

 肌も白くてきめ細かいし、まつげも長い。

 どこをとっても魅力を感じる、その恵まれた容姿はまさに俳優向きだ。

 「……」

 俺が演じる藤木。

彼はマサコという恋人がありながらリツキに思いを寄せる。マサコを恨むリツキは、復讐のために、そ
んな藤木を誘惑する

復讐のために利用されているとは知らずに、彼はリツキと許されない関係になる。そしてマサコよりも
リツキのことを一途に思うようになる。けれども、リツキが本当に愛している人物は、一人の少年。そ
れを知った藤木は苦悩する。せめて体だけでも繋がっていたいという思いから、ますますリツキの身
体に溺れていく。

 

『みなと……』

 

 こいつが俺を誘ってきた時、どうしようもない欲望に駆られた。

 白衣の下、見える鎖骨。

 頬に触れてきた指の温度。

 そして熱いまなざしで見つめる目。

 それは男を請う、娼婦のようだった。

 あれは、まさに魔性そのもの。

 どこか人気のない所に連れ込んで……いや、本当言うとそんな余裕すら俺にはなかった。

 この場で、洋樹が着ている着物を取り払って。

 あらゆる場所に触れて、口づけて、その温度を感じ取って。

 突き上げる欲望を洋樹の中に感じたい。

 本当に気絶してなかったら、俺は間違いなくこいつを犯していた。

 映画の撮影が始まったら、永原さん以上に衝動との戦いになりそうだ。

 何しろ藤木の想いは、俺自身のこいつに対する想いと同調している。

 俺は演技と現実の狭間を彷徨い続けることになるだろう。

 ……う、思い出したら駄目だな。

 また、こいつを抱きたくなってしまう。

 俺がこんなこと考えているなんて、洋樹は想像もしてないだろうな。

 結構純だし。

 女との経験もキス以上はなさそうだしな。

 当然男との経験なぞ、皆無だろうけど。

 ……。

 そういえば、あの従兄弟。

 公演が終わった後、俺をロビーに呼び出して言っていたな。

 明日此処に来るって。

 場合によっては洋樹を連れて帰る、とも言っていた。

 俺は拳を握りしめる。

 あの従兄弟が洋樹を見る目は、弟のように思っているような目じゃない。

 洋樹が言うには彼女はいるという話だ。

 となると、いずれ愛人か何かにしようと画策しているのだろう。

 は……っ、極力、あの人の前では良き保護者ヅラしておかないとな。

 敵は油断させておいて。

 確実に洋樹を俺のものにする。


 「うん……」


 ふと、洋樹が寝声を洩らす。

 こいつ結構可愛い声出すんだな。

 いつもは冷めた口調で、可愛げがないけど。

俺は洋樹の額に掛かった髪を避けてやる。

 本当に綺麗な顔してるな。

 学校でもひと際目立ってたいたし。

 すれ違う生徒の大半はお前を振り返って。

あの頃から、お前は人を引き付けていた。

 そう、俺自身さえ。

 髪に触れていた指は頬に。やがて唇に。

 温かく柔らかい感触だ。

 俺は指を放し、代わりに唇を重ねる。

 

「おやすみ」


 一言告げて、俺は洋樹の部屋を後にした。

 明日はあの従兄弟と勝負だ。

 俺もちゃんと寝ておかないとな。







  

 

 




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